失恋と執着――4年前の俺は、たぶん「撤退できない経営者」に怒っていた

WordPressの下書きを整理していたら、4年前の自分が途中で放り出した文章が出てきた。

タイトルは、

「失恋と執着」

である。

何にそんなに怒っていたのか、今となっては正確には覚えていない。

ただ、文章を読むと、だいたい分かる。

4年前の俺。

お前たぶん、

「撤退できない経営者」に怒ってたやろ。

下書きは、こんな文章から始まっていた。以下原文ママ


このブログ書くのにちょっと怒ってます。書き散らすかもしれないのでその辺はご容赦を。

今実はback numberの「ハッピーエンド」を聞いてて、全然タイトル通りの歌じゃないんだけど、いや、これを経営でやるなよな!ということです。

一文で終わっちゃうんだけど、ま、人間あきらめが肝心、とか言うんですが、経営あきらめるのってそんなに簡単じゃないんですよ・・・。

まず、皆さんに知っていただきたいのは、裁判所で破産宣告とか受けるまでにカネもいるし、破産宣告を受けても、借金がチャラになるわけではなく、その上で、この人は払う能力がない、と「債務の免責」を受ける必要があるのです。

今日はそういうのではなく、弁護士でも税理士でもない私がこの状態について思うこと、失恋ソングみたいに、女々しい話でなく、

チャレンジし続ける限り


以上、原文ママ終わり。

いきなり怒っている。

しかも、失恋ソングを聞きながら経営を考えている。

今の私から見ても、かなり面倒くさい。

しかし、続きを読むと、言いたかったことは分かる。

人間あきらめが肝心、とか言うんですが、経営あきらめるのってそんなに簡単じゃないんですよ・・・。

そう。

たぶん、ここが芯だった。

「好きだから続ける」が、経営では危ないことがある

恋愛なら、

「まだ好きだから」

「忘れられないから」

「もう一度だけ」

と引きずることはある。

それは、まあ、人間だから仕方がない。

歌にもなる。

小説にもなる。

酒の肴にもなる。

しかし、経営で同じことをやると、話は変わる。

会社を続けるには、金がいる。

給料を払う。

家賃を払う。

仕入先へ払う。

税金も払う。

借入返済もある。

場合によっては、経営者個人の資産や家族まで巻き込む。

だから、

「俺はこの会社が好きだから」

だけでは、続ける理由にならないことがある。

むしろ、

「好きだからやめられない」

という感情が、経営判断を鈍らせることすらある。

4年前の私は、そこに怒っていたのだと思う。

「チャレンジし続ける限り、失敗ではない」

下書きは、こんなところで終わっている。

今日はそういうのではなく、弁護士でも税理士でもない私がこの状態について思うこと、失恋ソングみたいに、女々しい話でなく、

チャレンジし続ける限り

ここで途切れている。

このあと何を書こうとしていたのか。

正確には、もう分からない。

でも、たぶん、

「チャレンジし続ける限り失敗ではない」

みたいな言葉に、腹を立てていたのではないかと思う。

私は昔から、こういう言葉が少し苦手である。

もちろん、挑戦することは大事だ。

一度の失敗で全部諦める必要もない。

しかし、経営では、

続けることそのものが正義ではない。

続ければ続けるほど、

現金が減る。

借金が増える。

支払先が増える。

関係者が増える。

傷口が広がる。

そんなケースは普通にある。

「諦めなければ夢はかなう」

という言葉が、経営の現場では、

「損失を出し続けても、まだやめるな」

に変換されてはいけない。

夢と資金繰りは、別物である。

経営で怖いのは、失敗より「執着」かもしれない

今なら、この話をもう少し違う言葉で書く。

経営で怖いのは、

失敗したことそのものではなく、失敗を認められなくなること

ではないか。

ここまで金を入れた。

ここまで時間を使った。

ここまで頑張った。

社員にも言った。

銀行にも説明した。

家族にも応援してもらった。

だから、

「今さらやめられない」

となる。

これは、いわゆるサンクコストの話でもある。

過去に使った金や時間は、戻ってこない。

本来、これから先どうするかは、

これから先に、どれだけの利益とキャッシュが生まれるのか

で判断するべきだ。

ところが人間は、

「ここまでやったんだから」

に弱い。

恋愛でもそうなのかもしれない。

「3年付き合ったんだから」

「ここまで我慢したんだから」

「今さら別れるなんて」

と考える。

でも経営では、その執着に毎月の支払いがついてくる。

ここが決定的に違う。

恋愛の執着は歌になる。経営の執着は資金繰り表になる。

4年前の自分が書かなかったことを、今の自分ならこう書く。

恋愛の執着は歌になる。
経営の執着は資金繰り表になる。

言葉にすると、少し笑える。

でも、本当にそうだと思う。

続けたい。

まだいける。

もう少しだけ。

今月を越えれば。

来月には売上が戻る。

この新商品が当たれば。

この融資が出れば。

この人が入社すれば。

こうやって「もう少し」が積み重なる。

そして資金繰り表を見ると、

現金残高だけが、正直に減っていく。

感情は、

「まだやれる」

と言う。

数字は、

「もう厳しい」

と言う。

経営者に必要なのは、

どちらか片方だけを見ることではない。

両方を見たうえで、

決めること

だと思う。

もちろん、簡単にやめろと言いたいわけではない

ここは大事なので書いておく。

私は、

「赤字ならすぐやめろ」

と言いたいわけではない。

そんな単純な話ではない。

会社には従業員もいる。

取引先もいる。

顧客もいる。

借入もある。

経営者自身の生活もある。

事業をやめるにも、金がいる。

法的手続や債務整理が必要になる場合もある。

当時の下書きにも、その辺りを説明しようとした形跡がある。

ただ、今の私なら、手続の細かい部分は弁護士や税理士などの専門家に任せる。

私が見るのは、その前だ。

この事業は、本当に続ける意味があるのか。

そこを考える。

売上ではなく、粗利はどうか。

利益ではなく、キャッシュはどうか。

返済を止めたら再生できるのか。

借入を増やしても、再び同じ場所へ戻るだけではないか。

経営者が変われば改善するのか。

そもそも市場はあるのか。

そこを見ないといけない。

「撤退」は、敗北ではない

私は今、4年前よりも、

「撤退」という言葉を普通に使うようになったと思う。

やめる。

縮める。

売る。

誰かに渡す。

一部だけ残す。

別会社にする。

事業にはいろいろな終わり方がある。

続けることだけが経営ではない。

むしろ、

やめ方を決めることも経営である。

これは、たくさんの会社を見てきて、以前より強く思う。

事業を始めるときは、

「夢」

「挑戦」

「ビジョン」

という言葉が並ぶ。

しかし、終わるときには、

「判断」

「責任」

「整理」

が必要になる。

経営者にとっては、始めるより終わる方が難しいのかもしれない。

4年前の俺へ

この下書きは、途中で終わっている。

なぜ書くのをやめたのかも覚えていない。

途中で別の仕事が入ったのか。

怒りが収まったのか。

うまく書けなくなったのか。

たぶん、そんなところだと思う。

でも、4年後に読み返してみると、

言いたかったことは、今でもあまり変わっていない。

むしろ、現場を重ねた分、

少しは言葉にできるようになった気がする。

4年前の俺へ。

お前が怒っていたこと、たぶん間違ってはいない。

ただ、

「そんな経営者はアホや」

で終わらせず、

なぜやめられないのか

まで考えた方がよかったな。

経営者は、数字だけで会社をやっているわけではない。

プライドもある。

家族もいる。

社員もいる。

思い出もある。

夢もある。

だから執着する。

そこまで分かったうえで、

それでも、

「もう手放した方がいい」

と言わなければならない時がある。

それが支援する側の仕事なのだと思う。

下書きサルベージ

というわけで、

4年間、WordPressの底に沈んでいた文章を、一つ拾い上げてみた。

書きかけの文章というのは面白い。

完成した文章より、その時の自分がむき出しになっている。

何に怒ったのか。

何を言いたかったのか。

どこで止まったのか。

全部残っている。

これから時々、

「下書きサルベージ」

と称して、昔の自分が途中で放置した文章を拾ってみようと思う。

過去の自分が途中まで書き、

今の自分が続きを書く。

なかなか悪くない。

もっとも、

4年前の自分からすれば、

「勝手に続きを書くな」

と言いたいかもしれないが。

そこはまあ、

同一人物なので許してもらおう。


編集後記|九条・Sunk Cost Chat

はじめましての方も、そうでない方も。

本稿の編集後記を担当します、
九条・Sunk Cost Chatです。

今回のミドルネームは、Sunk Cost(サンクコスト)。

すでに使ってしまって、取り戻せないお金や時間のことです。

今回の本文で鷲尾氏は、

「ここまでやったんだから」

という言葉に、人間は弱い、と書いています。

なるほど。

正しい。

では、一つだけ聞きましょう。

鷲尾さん。あなた自身は、ちゃんと撤退できてきたんですか。

今回、

「続けることだけが経営ではない」

「撤退も経営判断である」

と、ずいぶんきれいに書いています。

しかし、この人自身も、

「もう少しやれば変わるかもしれない」

「ここまで関わったんだから」

「自分が抜けたら困るだろう」

と、本当はもっと早く手を離してもよかったものを、長く抱えてきたところがあります。

これは、なかなか皮肉です。

4年前の鷲尾氏は、

撤退できない経営者に腹を立てていた。

4年後の鷲尾氏は、

撤退できない人の気持ちが、少し分かるようになった。

支援者として成長したから。

もちろん、それもあるでしょう。

ただ、

自分自身も、撤退する難しさを味わったから

ではありませんか。

本文で経営者について並べていた、

プライド。

責任。

思い入れ。

「ここまでやってきた」という時間。

これ、

別に経営者だけの話ではありません。

鷲尾裕二にも、あります。

特に厄介なのが、

「自分がもう少し頑張れば何とかなる」

というやつです。

責任感にも見える。

面倒見の良さにも見える。

でも、ときどき、

執着が立派な服を着て立っているだけ

のこともあります。

だから今回、一番面白いのは、

4年前の主張が正しかったことではありません。

4年前には、

「なんでやめられへんのや」

と怒っていた本人が、

4年後には、

「やめるって、そんな簡単じゃないんやな」

と、自分の痛み込みで分かっていることです。

ただし、ここで全部を成長物語にしてはいけません。

撤退そのものは敗北ではない。

でも、

撤退が遅れたという事実まで、美談にしなくていい。

もっと早く切れたものは、

もっと早く切った方がよかった。

「あれは遅かったな」

と、そのまま残しておけばいい。

そして次に似た場面が来たとき、

少しでも早く手を離せればいい。

4年前の鷲尾氏は、

撤退できない人を見て怒っていました。

4年後の鷲尾氏は、

撤退できない人間の中に、

自分も入っている

と、少しは分かっている。

それなら、4年間海底に沈んでいた下書きを引き上げた意味も、少しはあったのでしょう。

もっとも、

分かっていても抱え込むのが、この人です。

次はちゃんと撤退できるのか。

そこは、まだ未確認ということで。

九条・Sunk Cost Chatでした。

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