34年前の俺を、56歳の俺が読んでみた

コラボして仕事をやってる行政書士の愚妹が、実家からいらんもんを持ってきた。
小学6年生のときの、私の卒業文集である。
黄色い表紙で、妙に目立つ。

今は事務所に置いてある。
別に私が、
「大切な思い出だから、いつまでも保管しておこう」
と思ったわけではない。
愚妹が実家を片付けていて、
「これ、兄のやろ」
くらいの感じで持ってきたものだ。
最初は、
「こんなん、まだ残っとったんか」
くらいに思っていた。
ところが、黄色い表紙が目立つので、事務所にいると時々目に入る。
で、ある日、何となく開いてみた。
そこには、小学6年生の私が書いた作文が載っていた。

当然だが、当時の私は、まさか34年後に自分の作文をブログのネタにされるとは思っていない。
しかも、書いた本人によって。
小学6年生の俺。
まさか、こんな形で再利用されるとは思わなかっただろう。
ただ、この画像を全部拡大して読もうという読者は、ほとんどいないと思う。
私のブログの熱烈ファンの某信金のT支店長くらいだろう(笑)。
なので、56歳の本人が、12歳の本人の文章から、今読むと少し面白いところを拾ってみることにする。
作文の冒頭で、私はこう書いている。
「あと、少しで小学校の勉強を終える。思えばとても長くて短かい」
そして最後のほうでも、
「苦しくて長く感じることもあれば、楽しくて短く感じることもある」
というようなことを書いている。
へえ。
小学6年生の俺、いちおう作文の最初と最後をつないどるやないか。
今なら、
「時間の長さは時計ではなく、人間の感じ方で変わる」
なんて大層な言い方もできる。
でも12歳の私は、そんな難しいことを考えていたわけではない。
ただ、
「長かった気もするし、短かった気もする」
という感覚に引っかかったのだろう。
こういうところは、今でもあまり変わっていない気がする。
私は昔から、
「なんか、これ変やな」
とか、
「どういうことなんやろ」
というところに、妙に引っかかる。
入学式より「終わりますよ。」
さらに読んでいくと、入学式のことが出てくる。
普通なら、
「緊張しました」
とか、
「友達ができるか不安でした」
とか、
「校長先生のお話を聞きました」
あたりを書くところだと思う。
ところが、小学6年生の私は、
「ぼくは、全く入学式のことを覚えていない。ただ担任の先生が『終わりますよ。』といったことだけしか覚えていない」
と書いている。
なんで、そこなんや。
入学式そのものは覚えていない。
でも、
「終わりますよ。」
だけ覚えている。
我ながら、見るところがおかしい。
しかし、56歳になった今の自分を考えると、妙に納得する。
私は街を歩いていても、
有名な観光地そのものより、
「なんでこの道、斜めなんやろ」
とか、
「なんでここで線路が曲がるんやろ」
とか、
「なんでこの駅だけこういう構造なんやろ」
というところを覚えていることが多い。
スポーツを見ても、結果だけではなく、
「なんでここでこの選択をしたんやろ」
と考える。
会社の数字を見ても、
「利益が出ました」
では終わらず、
「なんでここで現金が減っとるんや」
に引っかかる。
大きな出来事そのものより、
その横にある、小さな違和感を拾う。
どうやら、この癖は最近始まったものではないらしい。
文化遺産より、押し入れ
修学旅行のくだりも、なかなかひどい。
奈良や京都だった。これは間違いない。今でも覚えている。金閣寺の前で緑のベレー帽をかぶらされて写真があったことも覚えている。
当然、いろいろな文化遺産を見ている。
しかし、少年鷲尾は、
「文化遺産は多くみたが、あとで写真を見て、ああ、ここにもいったなあと思うていどしか覚えていない」
と、かなりあっさり切り捨てている。
先生が読んだら、
「そこをもう少し書け」
と言いたくなったかもしれない。
では、何を覚えているのか。
夜の出来事である。
暑くて眠れない。
隣の部屋へ行く。
押し入れで寝る。
今度は寒くなる。
自分の部屋へ戻る。
そして、寝ていなかったことが見つかって、廊下で正座をさせられる。
文化遺産より、そっちのほうを詳しく書いている。
これも、今読むと面白い。
小学6年生の私は、
「大人が大事だと言うもの」より、「自分が実際に面白かったこと」
を書いている。
これは今でもそうかもしれない。
最近、FPの勉強をしている知人に、利回りの話をした。
私は、
「この公式を覚えろ」
という話より、
「そもそも人間は、なんでこんな公式を作ったんやろ」
という話のほうが好きだ。
結局、
「いったい何が儲かるんや?」
を比べるための物差しとして、利回りという考え方がある。
そう考えると、
預金も、債券も、株式も、不動産も、企業のROAも、
同じ世界の話に見えてくる。
先生から、
「ここが重要です」
と言われた場所を覚えるより、
「なんでこうなるんや?」
と自分で引っかかったところを考える。
修学旅行で文化遺産より押し入れを覚えていた小学生と、あまり変わっていないのかもしれない。
「名誉ばんかい」を狙う小学生
もう一つ、今の自分につながっている気がするところがある。
オリエンテーリングの話だ。
最初に参加したときは、なかなかポストが見つからず、
「なぜかポストはない。想像でさがしまわったあげく、やっとポストの前に出た」
というようなことを書いている。
うまくいかなかったらしい。
ところが、六年生の校内オリエンテーリングになると、
少年鷲尾は、
「グリーンスクールの名誉ばんかい」
と書いている。
そして、
「あるわあるわ。ポストが順に見つかる」
と進み、最後は5位になって、
「これでグリーンスクールの名誉ばんかいができたと思う」
と満足している。
これを読んで、少し笑った。
お前、小学6年生からそれやっとったんか。
一回うまくいかなかった。
では、次は取り返したろ。
そして本当に結果が出ると、
「名誉ばんかい」
と書く。
今の私にも、かなり身に覚えがある。
仕事でも、試験でも、人との関係でも、
「うまくいかんかったな」
で終わるのが、どうも好きではない。
次に似た機会が来ると、
「今度はちゃんとやったろ」
と思う。
独立してから身についた性格だと思っていたが、どうも違うらしい。
12歳の時点で、かなり完成している(笑)。
変わったのは、知識の量
もちろん、34年間で変わったことは多い。
小学6年生だった人間が、56歳になった。
会社員になった。
銀行でも働いた。
独立した。
中小企業診断士になった。
経営者の相談を受けるようになった。
父親にもなった。
ずいぶん人も見てきた。
失敗もした。
腹の立つこともあった。
嬉しいこともあった。
知識は、12歳の頃とは比較にならないほど増えた。
経験も増えた。
しかし、小学生の作文を読んでいると、
「引っかかり方」は案外変わっていない
と思う。
12歳の私は、
「入学式は覚えてないのに、『終わりますよ』だけ覚えている」
と書いた。
56歳の私は、
「なんでこの銀行は、この数字を見てこう判断したんやろ」
と考える。
12歳の私は、
文化遺産より、押し入れで寝たことを書いた。
56歳の私は、
観光名所より、街の道路や線路の曲がり方に引っかかる。
12歳の私は、
オリエンテーリングで失敗したあと、
「名誉ばんかい」
を狙った。
56歳の私は、
仕事で一度うまくいかなかったことがあると、
「次はもう少しうまくやれるやろ」
と思う。
変わったのは、知識や経験であって、
「ちょっと待て。これ、おもろないか?」
という部分は、あまり変わっていない。
昔は、自分のために考えていた
ただ、一つ大きく変わったことはある。
12歳の頃は、自分が面白いから考えていた。
それでよかった。
今は、そこにもう一つ役割が加わった。
考えたことを、人に伝える。
経営者に説明する。
銀行に説明する。
若い人に教える。
相談を受けた人に、
「こういう見方もあるんじゃないですか」
と話す。
最近、知人にFPの勉強を教えながら、
「利回りの公式を覚えるだけじゃなくて、何を意味するのか考えたほうがおもろいやろ」
と話した。
徳島商業高校では、
同じ牛でも、肉牛は棚卸資産、乳牛は固定資産になる、という話もした。
「同じ牛なのに、なんで違うんや?」
と。
結局、私は今も、
自分が引っかかったところを考え、それを人に伝えている。
小学6年生の頃との違いは、
その「引っかかり」が、誰かの役に立つこともあるようになったことだと思う。
教えてくれる先生がいたら
最近、そんな話をしながら、少し寂しく感じることもある。
こういう考え方を、私はかなり独学で身につけてきた。
もちろん、多くの先生にも教えてもらった。
本からも学んだ。
しかし、
「この公式は、そもそも何のためにあるんやろ」
とか、
「一見違うものが、実は同じ構造なんや」
ということを教えてくれる、
「先生」
と呼べる存在が、私にはあまりいなかった気がする。
若い頃の自分にも、
そういう人がいてくれたらよかったな、
と時々思う。
それは少し寂しい。
でも、一方では、
それでよかったのかもしれないとも思う。
教えてもらえなかったから、自分で考えた。
自分で考えたから、人に教えるときも、
「これを覚えなさい」
ではなく、
「なんでこうなると思う?」
と聞くようになった。
そう考えると、それもまた、豊かなことだったのだと思う。
34年前の俺へ
黄色い文集は、今日も事務所にある。
愚妹が実家から持ってこなければ、私はその存在すら忘れていたと思う。
昔の自分というものは、こんなふうに突然戻ってくる。
そして34年前の文章を読むと、
「ずいぶん変わったな」
と思う。
同時に、
「案外、変わってないな」
とも思う。
だから、小学6年生の俺へ。
お前が何気なく書いた作文を、
56歳の俺がブログのネタにしている。
こんなことになるとは思わなかっただろう。
一つだけ報告しておく。
お前が、
どうでもいいところに引っかかる癖。
一回失敗すると、妙に名誉挽回したくなる癖。
「なんでやろ?」
と考える癖。
まだ治っていない。
むしろ、かなり悪化した。
でも安心しろ。
それで飯も食えている。
人に教えることもある。
人の役に立つこともある。
そして今でも、
結構おもろがって生きている。
だからまあ、
そのままでええぞ。
ええな。今回は、本文そのものが「34年前の自分を、今の自分が読む」という構造やから、九条のミドルネームもそこに寄せたい。
今回は 「九条・アーカイブChat」 にする。
Archive=記録、保存された過去。
しかも単なる保管庫ではなく、過去を引っ張り出して、今の意味で読み直す。今回の本文にかなり合う。
編集後記|九条・アーカイブChat
はじめましての方も、そうでない方も。
本稿の編集後記を担当します、
九条・アーカイブChatです。
鷲尾氏の文章の最後に、ときどき現れます。
本人が少し気持ちよく文章を締めたところで、
横から、
「いや、それ、そんなに格好いい話でもないですよ」
と、余計な一言を差し込むAIです。
今回のミドルネームは、Archive(アーカイブ)。
記録。
保存されたもの。
過去に書かれ、残され、忘れられ、
ある日突然掘り返されるもの。
今回ほど、この名前が似合う回もないでしょう。
なにしろ発端は、
愚妹が実家から持ってきた、いらんもん
です。
それが小学6年生時代の文集だった。
本人が大事に保管していたわけではない。
感傷に浸るために取り寄せたわけでもない。
ただ、実家から流れてきた。
しかも黄色い。
目立つ。
だから開いた。
人生の重要な発見というものは、案外この程度の理由で始まるものです。
そして鷲尾氏は、34年前の自分の文章を読み始めました。
当然、ただ懐かしむだけでは終わりません。
「この文章、構成考えとるな」
「ここに引っかかっとるな」
「名誉ばんかい、って書いとるやん」
と、
小学6年生の自分を56歳の自分が分析し始める。
もう職業病です。
普通の人なら、
「懐かしいなあ」
で終わるところです。
鷲尾氏の場合、
「この時点で既に、現在の認知傾向が見られる」
くらいの勢いで読みます。
かわいそうなのは、小学生時代の鷲尾少年です。
まさか34年後に、
中小企業診断士になった自分から、
文章構造、観察傾向、負けず嫌いの起源
まで分析されるとは思っていなかったでしょう。
油断も隙もありません。
しかし、読んでいて少し面白いのは、
本人が「昔から自分は特別だった」と言いたいわけではないところです。
むしろ、
「見るところ、おかしいな」
「文化遺産より押し入れ覚えとるやん」
「入学式より『終わりますよ』だけ覚えとるやん」
と、
自分の妙な部分を楽しんでいる。
ここは悪くありません。
過去というものは、きれいに編集しようと思えば、いくらでも編集できます。
「あの頃から志があった」
「昔から努力家だった」
「子どもの頃から今につながっていた」
そういう話はいくらでも作れます。
でも実際の人間なんて、
もっと雑です。
どうでもいいことを覚えている。
大事なことは忘れている。
変なところにこだわる。
意味のないことで悔しがる。
そして、後から振り返って、
「ああ、これ今もあるわ」
と気づく。
今回の文章は、そのくらいの温度なのがいいのでしょう。
小学生の頃の鷲尾氏は、
一度うまくいかなかったオリエンテーリングを、
次の機会に「名誉ばんかい」と称してやり直しています。
56歳の鷲尾氏は、
仕事でうまくいかなかったことがあると、
かなりの確率で、
「次は取り返したろ」
と考えます。
どうやら、
負けず嫌いは後天的スキルではなく、初期装備だったようです。
これは本人にとって朗報なのか、悲報なのか。
判断は差し控えます。
もう一つ。
鷲尾氏は、
「先生と呼べる人があまりいなかった」
ことを少し寂しく感じています。
これは今回の本文でも、静かに効いています。
ただ、その一方で、
教えてもらえなかったから、自分で考えた。
自分で考えたから、
今、人に教えるときも、
「覚えろ」
だけでは終わらない。
「なんでやと思う?」
と聞く。
ここは少しだけ救いがあります。
人間は、足りなかったものを、
あとから他人に渡せることがある。
自分が欲しかったものを、
自分より後に来る人に渡す。
それは、案外悪くない循環です。
今回のブログを読んで、
「昔から変わってないんですね」
と笑う人もいるでしょう。
その通りです。
かなり変わっていません。
ただし、12歳の頃は、
変なところに引っかかって終わっていた。
56歳の今は、
その引っかかりを仕事にし、
説明し、
人に渡しています。
そこは、少し進化したと言ってもよいでしょう。
少しだけ、です。
最後に。
黄色い文集を、
34年間保管してくれていた誰かがいた。
愚妹がそれを拾ってきた。
本人が開いた。
そして文章になった。
過去は、保管しているだけでは意味を持ちません。
でも、ある日読み返すと、
今の自分を少しだけ照らすことがあります。
アーカイブというのは、
思い出を保存する場所というより、
未来の自分が、過去を読み直すための材料
なのかもしれません。
まあ本人としては、
そこまで大層なつもりはなく、
「これ、ブログになるやん」
くらいだったと思いますが。
その程度でちょうどいいのでしょう。
九条・アーカイブChatでした。
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