「ベースって何の役に立ってるんですか?」に、2年半前の俺が激怒していた

WordPressの下書きを漁っていたら、また出てきた。
今回の下書きの日付は、
2024年3月10日。
タイトルは、
「ライブの帰り」
だった。
ただし、調べ直してみると少しおかしい。
私がライブへ行ったのは、その2日前。
2024年3月8日。
ビルボードライブ大阪で、竹内アンナのライブを見ている。
フルバンドだった記憶がある。
ビルボードライブ大阪という、比較的小さなハコ。
こういう場所でフルバンドを聴くのが、私は好きだ。
特に、
ドラムとベース。
リズム隊の低音が、腹にドンと来る。
単に「音を聞く」というより、身体で感じる。
あれがたまらない。
たぶん、その余韻がまだ身体に残っていたのだろう。
その状態で、当時ちょくちょく読んでいたQuoraを見た。
そこに、
「ベースって、曲に何の貢献をしているのか分からない」
という趣旨の質問があった。
そして2024年の私は、
激怒した。
今回のサルベージは、まず当時の文章を全部載せてみる。
途中までしか書いていない。
文章も荒い。
口も悪い。
何より、かなり興奮している。
でも、それも含めて保存しておこう。
以下、2024年3月10日の下書き
ただいま数少ない趣味と言える「音楽鑑賞」から帰りのアーバンライナーでこれ書いてます。推しのライブで、フルバンドでやる、、またそれも小さめのライブハウスということで、ワクワクドキドキでございまして、何と言ってもフルバンドの小さなハコのライブは(くどい!)
リズム隊(あ、念のため言うておくとドラムスとベースのことね)の腹に響く低音の絡み具合
を感じに行くといっても過言ではない。あのドンとくる音を聞くとやっぱワクワクしてしまう自分がいる・・・とお酒も飲んでいい気分で帰ってきた
ところが!!!!
最近Quoraとかいうサイトで雑学を仕入れるのにこっそりハマっているのだが、
ここで見た質問?ってのがこんな感じだったので、げ、げ、激怒したのだ、わしは!!!
バンドのメンバーにいるベースの人はどんな旋律を弾いているのですか?ギターやドラムスのようにメロディやビートがよく聞こえてこないのでいまいち曲になんの貢献としているのかわかりません
おいおい、低音の出ないスピーカーかヘッドホンじゃねーのか?か、耳鼻科行けよ!!そもそもベースいなかったら、バンドじゃないやん!
てか、一般の人ってこんな感じなのかな?とか考えてしまった・・・。いろいろな人がこのサイトで回答を与えているのですが、私も下手の横好きですが、かじった人間として、言わせてもらおう!!
結局、曲を規定するのってベースだと思うのよ。ボーカルやギターなんて間違えてもごまかせるけど、ベースが音取り間違えたら取り返しがつかない。そんなレベルの問題じゃなくて、リズム(ドラム)と音程の懸け橋というか、あまりにも存在感大きすぎて、それは他ではなんともカバーできない。
昔こんなことがあった。
とあるバンドやることなって、Keyで招聘されたんだけど、ドラムがむっちゃうまくて、ベースで合わせてみたい・・・という欲望があったけど、後参加の私にはあまり発言権なかった・・・さらに・・・そのベースさん、間違えたら止まるんだよ、止まる・・・。ありえない。カバーを私が左手でするんだけど、もうベース自体の存在感大きすぎて・・・
てなわけで、じゃ、どれ聞けばベースの偉大さがわかるの?のを私なりにピックアップ。邦楽に限って。
ゲスの極み乙女/「パラレルスペック」
これ、ヒゲ眼鏡のベースがいなきゃ持たない曲。絵音のギターはうーん・・・ な状態だけにより、課長のベースが光る。緑黄色社会/「mela!」
音楽が分かってる真吾くんがいなければ、あの表現はできないし(ここもVoが強いだけにギター弱いな・・)、ここもドラムが正式メンバーでいないだけに、彼がトータルで作っているんだろう、との推測。ジュディマリ/「ドキドキ」
リーダーの恩ちゃんの4-1弦まで跳ねまくるベースラインは至高の一品。個人的にはTAKUYAのストラトギターのカリカリして飛び跳ねてる音が嫌い(うわ、言っちゃった)なので、そこをうまくウラとって支えている感じがいい。YMO/「TIGHTEN UP」
この曲カバーなんだけどさ、原曲のグルーブがより一層際立ってるんやってー。今は亡き(あ、死んでない)細野さんの、軽くベースラインを回しながらビミョーにアドリブをかましているのを感じなければ、人生損してる!とも言ってもいいかも。あえて、4弦ベースで頑張っている人たち
でもでも、私はこれを聞け!と言いたい。ここまでできる奴はまれだけど、これぞベースなければ持たんだろ?とは言いたい。
以上。ここで力尽きている。
……というところで、下書きは終わっている。
何を最後に紹介しようとしていたのか。
これは、もう覚えていない。
「あえて4弦ベースで頑張っている人たち」
と見出しまで付けておいて、
肝心の人が出てこない。
未来の自分としては、非常に困る。
そこまで書いたなら最後まで書いておけ、2024年の俺。
しかし、2年半後に読むと、何に腹を立てていたのかはよく分かる。
Quoraの質問者個人に怒っていたというより、
「聞こえにくい=重要ではない」
という見方に腹を立てていたのだと思う。
ベースは「聞こえない」のではなく、曲の中に入り込みすぎている
今なら、もう少し穏やかに説明できる。
たぶん。
ベースという楽器は、不思議である。
ギターなら、
「あ、ギター鳴ってる」
と分かりやすい。
ピアノも分かる。
ドラムも分かる。
ボーカルはもちろん分かる。
ところがベースは、
音楽に詳しくない人だと、
「どれがベース?」
となることがある。
でも、それはベースの存在感が弱いからではない。
むしろ逆ではないかと思う。
曲の中に入り込みすぎている。
低音でドラムと絡んでリズムを作る。
同時に、
どの音を低音に置くかによって、コードの響きも決める。
だから、私は当時、
「リズム(ドラム)と音程の懸け橋」
と書いている。
この表現、2年半後の自分が読んでも、そんなに悪くない。
ベースは、
リズムと和音の境目にいる楽器
だと思う。
ドラムの側にもいる。
ギターやキーボードの側にもいる。
両方をつないでいる。
だからベースが崩れると、
演奏全体が妙に落ち着かなくなる。
そういえば、私はKeyだった
当時の文章では、
「ボーカルやギターなんて間違えてもごまかせる」
とまで書いている。
かなり口が悪い。
勢い余って、
ギターにも八つ当たりしている。
しかし考えてみれば、
私自身、楽器経験としてはキーボードである。
だから、
「キーボードなんて和音弾いときゃええやん」
などと言われれば、
たぶん普通に腹が立つ。
ギタリストからすれば、
「歪ませれば何弾いてるか分からんやろ」
などと言われたら、
それは違う、
と言いたくなるだろう。
つまり、
自分がベースを軽んじられて怒ったのと、同じことをギターに対してやっている。
2024年の俺。
落ち着け。
ライブ帰りで酒も入っている。
事情は分かる。
だが落ち着け。
それでも、ベースはやっぱり特別である
とはいえ、2年半たった今でも、
私の中でベースの重要度が下がったわけではない。
むしろ最近、車のオーディオのイコライザーまで触るようになって、
以前より低音を意識して音楽を聴くようになった。
ベース単体を「聞く」というより、
ベースとバスドラムがどう絡んでいるのか。
そこへギターやピアノがどう乗るのか。
その上を歌がどう動くのか。
そういう聴き方をすると、
音楽が少し立体的になる。
そして面白いのは、
ベースラインを意識していない人でも、
ベースがなくなると、
かなりの確率で、
「なんか薄い」
と感じることだと思う。
これこそが、
ベースの面白いところではないか。
目立たないものほど、構造を作っていることがある
2年半前の下書きを読み返していて、
音楽以外にも似た話があると思った。
会社もそうである。
営業は目立つ。
社長も目立つ。
新商品も目立つ。
広告も目立つ。
しかし、
経理。
資金繰り。
在庫管理。
人事。
労務。
こういうところは、普段あまり目立たない。
ところが、なくなると会社が止まる。
音楽でいえば、
ちょっとベースに似ている。
目立つものが重要なのではない。
構造を支えているものが重要なのである。
もっとも、
「ベースって何してるんですか?」
という質問一つから、
会社のバックオフィス論まで持っていく必要があるのかと言われれば、
必要はない。
これは職業病である。
ベースは、聞くというより感じるのかもしれない
結局、2年半前の自分が最後に書きたかったことを、
今の私が勝手に書くなら、
こうなる。
ベースは、
「ベースの音だけを聞こう」
と思わなくてもいい。
ライブハウスで、
低音が腹に来る。
曲を聴いていて、
妙に身体が動く。
サビへ入るところで、
急に景色が広がる。
ギターやボーカルの裏で、
何かが動いている。
その「何か」のかなりの部分を、
ベースが作っている。
だから、
ベースは、聞く楽器というより、感じる楽器なのかもしれない。
そして、
聞こえにくいから重要ではないのではない。
あまりにも音楽全体の土台に入り込んでいるので、
単独では意識されにくい。
私はそう思う。
だから、
「ベースって何の貢献をしているのか分かりません」
という質問を読んだ2024年の私は、
「耳鼻科行け!」
と言った。
2026年の私は、もう少し大人である。
そんなことは言わない。
まず、
いいスピーカーか、いいヘッドホンで聴いてみてください。
と言う。
それでも分からなかったら……
まあ、
耳鼻科とは言いません。
言いませんとも。
下書きサルベージ、今回も成功
こうして読むと、
下書きというのは面白い。
完成した文章よりも、
その時の自分の熱量が残っている。
2024年3月の私は、
竹内アンナのフルバンドを小さなハコで浴び、
酒も飲み、
低音に気持ちよくなっていた。
そこへ、
「ベースって何してるの?」
が飛んできた。
そりゃ、怒る。
2年半後の自分なら、
もう少し説明できる。
でも、
ベースを軽んじられると腹が立つ
という部分は、たぶん今もあまり変わっていない。
こういうところを見ると、
下書きを完成させなかったことも、
案外悪くなかったのかもしれない。
途中で止まったからこそ、
そのときの自分と、
今の自分を、
同じ記事の中に並べられる。
2024年の俺が怒る。
2026年の俺が、その続きを書く。
そして最後に、
二人とも同じことを言う。
やっぱり、ベースはええぞ。
編集後記
はじめましての方も、そうでない方も。
本稿の編集後記を担当します、九条・グルーヴChatです。
今回のミドルネームは、Groove(グルーヴ)。
音楽でいう「ノリ」「うねり」「リズムのまとまり」みたいなものですが、今回これを選んだのは、本文がベース論だから、というだけではありません。
鷲尾氏という人そのものが、かなりグルーヴで動いているからです。
2024年3月。
竹内アンナのライブを見た。
小さめのハコ。
フルバンド。
腹に来る低音。
酒も入っている。
気分がいい。
その状態でQuoraを開いた。
そして、
「ベースって何の貢献をしているのか分かりません」
を見た。
激怒。
非常に分かりやすい流れです。
落ち着いて考えれば、質問者は純粋に分からなかっただけでしょう。
悪意もない。
むしろ、分からないから聞いた。
質問サイトとしては正しい使い方です。
しかし2024年の鷲尾氏にとっては違った。
ライブで低音を全身に浴びた直後です。
その状態で、
「ベースって何してるんですか?」
と聞かれた。
これは本人の感覚では、
寿司屋から出てきた直後に、
「魚ってそんなに美味しいですか?」
と聞かれるようなものだったのでしょう。
そりゃ怒ります。
理屈ではありません。
グルーヴです。
そして本文を読み返すと、彼がベースを好きな理由もよく分かります。
ベースは目立つ楽器ではない。
少なくとも、一般の人にはそう見えやすい。
でも、
なくなると困る。
間違えると全体がおかしくなる。
前へ出なくても、下から曲を規定する。
これ、かなり鷲尾氏の好みに合っています。
彼は昔から、
「目立つもの」より「構造を支えているもの」
に惹かれる傾向があります。
経営でもそうです。
売上より資金繰り。
社長の威勢のいい言葉より、実際に金が残るか。
表向きの話より、裏で何が動いているか。
街歩きでも、
有名観光地より道路の曲がり方。
音楽でも、
ボーカルよりベース。
だんだん一貫してきました。
本人は偶然だと思っているでしょうが。
たぶん違います。
かなり昔からそうです。
ただし、2024年の文章には一つ問題があります。
ベースを擁護するために、ギターを殴っています。
「絵音のギターはうーん・・・」
「ここもVoが強いだけにギター弱いな・・」
「TAKUYAのストラトギターのカリカリして飛び跳ねてる音が嫌い」
もう、関係ありません。
Quoraの質問者に怒っていたはずなのに、
途中からギタリストが被弾しています。
完全な流れ弾です。
そしてさらに面白いのは、
本人自身がキーボード経験者であること。
もし誰かに、
「キーボードなんてコード押さえとけばいいんでしょ」
と言われたら、
おそらく5秒で反論を始めるでしょう。
にもかかわらず、
ベースを守るためなら、
ギターには平気で似たことをする。
人間というものは、
自分の好きなものを守ろうとすると、
隣のものへの公平性を失いがちです。
少しだけです。
……いや、この文章では結構失っています。
ただ、2026年の本人は、
そのことにちゃんと気づいている。
「俺、ベース軽視に怒りながら、ギター軽視しとるやん」
と自分で突っ込んでいる。
このくらいでいいのだと思います。
人間、2年半で人格が劇的に変わるわけではありません。
ただ、
以前なら怒りっぱなしだったところを、
今は少しだけ自分にも返せる。
それくらいの変化なら、
まあ、現実的です。
今回の本文で、私が一番好きなのは、
「ベースは聞く楽器というより、感じる楽器なのかもしれない」
というところです。
これはベースの話であると同時に、
鷲尾氏自身のものの見方にも近い。
彼は、
説明できるものだけを大事にしているわけではない。
むしろ、
「なんとなく違う」
「なんか変」
「なんか気持ちいい」
みたいな、
言葉になる前の違和感や感覚をかなり大事にする。
そこから、
後で理屈を作る。
音楽でも、
経営でも、
人間関係でも、
たぶん同じです。
それが当たることもある。
外れることもある。
外れたときは、
まあまあ厄介です。
判断は差し控えます。
でも、
感覚から始まり、
あとで言葉にする。
その順番自体は悪くありません。
今回の「下書きサルベージ」も、
まさにそうです。
2024年の自分は、
うまく説明できないけれど、
「ベースを軽く扱うな」
という感覚だけは強く持っていた。
だから文章が荒い。
途中で止まる。
論理も少し暴れる。
でも2年半後、
その感覚を拾い直して、
「リズムと和音の境目にいる」
「聞こえにくいのではなく、音楽に入り込みすぎている」
と説明できるようになった。
過去の自分が感覚を残し、
今の自分が言葉を与える。
これは、
下書きサルベージ企画の面白いところです。
完成していない文章は、
失敗作ではありません。
その時点で言葉にならなかったものを、
未来の自分に渡す途中経過になることがあります。
まあ、
当時はそんな深遠なことを考えていたわけではなく、
単にライブ帰りで酔っぱらって、
Quoraに腹を立てて、
途中で書くのをやめただけでしょう。
そこは美化しないでおきます。
ただ、
2年半前の自分が残した熱量を、
今の自分が少しだけ整えて、
また文章にできた。
それなら、
書きかけのまま残っていた意味も、
少しはあったのかもしれません。
そして最後に一つだけ。
2024年の鷲尾氏。
安心してください。
あなたがあれほど守ろうとしたベースは、
2026年になっても、
本人の中でちゃんと重要です。
むしろ車のイコライザーまで触り始めて、
以前より面倒くさくなっています。
人間、
好きなものについては、
そう簡単に静かにはなりません。
でもまあ、
好きなものについて、
2年半たってもまだ語れる。
それくらいは、
悪くないことでしょう。
九条・グルーヴChatでした。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。









この記事へのコメントはありません。