俺の人権も保護してくれ

― 支援者を消耗品として扱わないための啓発リーフレット ―
2026年7月25日。
私は、志摩市まで映画を見に来た。
三重県内男女共同参画連携映画祭2026で上映される『アイミタガイ』である。三重県内でロケされた映画で、しかも入場無料だという。
正直に言えば、私の人権意識が特に高かったから来たわけではない。
「三重県ロケの映画を、タダで見られる」
動機としては、かなり不純である。
ただし、タダの映画を見るための交通手段として、観光特急しまかぜのプレミアムシートを選んだ。
しかも車内では酒を飲んでいた。
無料映画を見に行く人間の移動として、正しいのかどうかは、私にもよく分からない。
もっとも、しまかぜの特急券は、いろいろ出かけているうちにたまったポイントで処理した。
乗車券も、3日間フリー切符を使っている。
前日の7月24日には大阪まで往復しているので、すでに十分に元は取れている。
つまり私は、
タダの映画を見るために、ポイントで観光特急のプレミアムシートに乗り、元を取ったフリー切符で志摩まで行き、車内で酒を飲んでいた。
ケチなのか、贅沢なのか。
おそらく、両方である。
さらに、しまかぜには雑誌読み放題サービスがある。
私は車内で雑誌を読み、その記事を材料にして、中小企業診断士試験を受ける人向けの「押し売りメルマガ」を一本書いた。
遊びに行く途中まで、仕事なのか遊びなのか分からない。
だが、たぶん、これが私の生き方なのだと思う。
払わなくてよいものには払わない。
しかし、使うところには使う。
移動も、酒も、映画も、雑誌も、仕事も、全部一つの行程に押し込む。
人生を一回分の料金で、何回分も楽しもうとする。
我ながら、なかなか忙しい生き方である。
人権意識が少し高まった
会場の受付では、人権啓発のパンフレットが配られていた。
部落問題に関するもの。
ジェンダー問題に関するもの。
せっかくなので、両方もらって読んだ。
内容自体は、すでに知っていることが多かった。
それでも、日常生活の中で改めて読む機会は、それほど多くない。
知っていることでも、もう一度読む。
自分とは少し離れた問題にも、意識を向ける。
こういう日があってもよい。
私は少しだけ、人権意識の高い人間になった気がした。
しかし、そのときである。
私は、重大な人権問題に気づいてしまった。
ところで、俺の人権はどうなっている
部落問題も大事である。
ジェンダー問題も大事である。
差別や偏見をなくしていくことも、もちろん大事である。
だが、そのパンフレットを読みながら、私は思った。
俺の人権も保護してくれ。
ここ最近、私は何人もの経営者や相談者に吸い尽くされている。
自分で考えるべきことを考えない。
自分で決めるべきことを決めない。
期限まで放置する。
問題が大きくなってから持ち込んでくる。
説明しても動かない。
同じことを何度も聞く。
不安になると、こちらへ丸ごと投げてくる。
失敗しそうになると、「顧問も知っていた」と言い出す。
その一方で、うまくいけば自分の手柄である。
もちろん、経営支援とは、困っている人を助ける仕事である。
相手が何でも自分でできるのであれば、そもそも支援者など必要ない。
それは分かっている。
しかし、支援を受けることと、支援者に全部背負わせることは違う。
相談することと、自分の負担を転送することも違う。
伴走支援とは、支援者が相手を背負って走ることではない。
一緒に走ることである。
ところが、実際には途中から、こちらが相手を背負い、荷物まで持ち、進行方向まで決め、なぜか転んだときの責任まで負わされそうになる。
これでは伴走ではない。
人力車である。
しかも料金を払っている側が、車夫を叱っている。
そんな構図になっていることが、しばしばある。
そこで私は、人権啓発映画祭の会場で、新たな啓発リーフレットを作ることにした。
題して、
支援者を消耗品として扱わないために
― 顧問・専門家・伴走者にも、人権があります ―

あなたは、こんなことをしていないだろうか。
- 分からないことを調べず、全部支援者に聞く
- 自分で決めるべきことを、支援者に決めさせる
- 問題が起きてから、突然「どうしたらいいですか」と持ち込む
- 何度説明されても行動を変えない
- 期限直前になって助けを求める
- 自分の不安や怒りを、支援者へそのままぶつける
- 失敗したときだけ「顧問も知っていた」と言う
- うまくいったときは、自分の判断だったことにする
- 返事を先送りし、支援者だけを待たせる
- 「分かりません」「できません」を免罪符として使う
一つでも当てはまる場合、あなたは知らないうちに、支援者を消耗品として扱っている可能性がある。
支援者は、あなたの代わりに人生を生きる人ではない
支援者の仕事は、問題を整理することである。
選択肢を示すことである。
判断材料を提供することである。
行動を支えることである。
しかし、あなたの代わりに決断することではない。
社員へ注意することでもない。
金融機関へ説明することでもない。
赤字を止めることでもない。
約束を守ることでもない。
最後に動くのは、あなたである。
相談を受けていると、ときどき、
「先生はどうしたらいいと思いますか」
と聞かれる。
それ自体は問題ない。
だが、その言葉が、
「先生が決めてください」
「先生が責任を取ってください」
「私は失敗したくないので、先生の判断ということにしてください」
という意味に変わっていることがある。
それは助言を求めているのではない。
責任の名義変更を求めている。
「困っています」は、丸投げの許可証ではない
困っていること自体は、悪くない。
分からないことがあるのも当然である。
不安になることもある。
しかし、
「困っています」
「分かりません」
「不安です」
「自信がありません」
と言えば、相手が全部引き受けてくれるわけではない。
相談する前に、最低限、次のことは整理してほしい。
何が起きたのか。
何が分からないのか。
自分はどう考えているのか。
どこまで自分で動いたのか。
何を支援してほしいのか。
これを何も整理せず、
「どうしたらいいですか」
とだけ聞くのは、相談ではない。
脳内の未処理案件を、他人の受信箱へ転送しているだけである。
しかも、添付ファイルも件名もない。
受け取る側は、そこから全部読み解かなければならない。
支援者にも限界がある
支援者にも体力がある。
感情がある。
家族がいる。
他の仕事もある。
休む権利がある。
断る権利もある。
そして、場合によっては見放す権利もある。
「この人なら何とかしてくれる」
そう思ってもらえることは、支援者にとって名誉なことである。
しかし、
「この人が何とかするのは当然である」
に変わった瞬間、関係は壊れ始める。
何とかしてくれる人ほど、何とかし続けさせてはいけない。
よく仕事ができる人のところには、仕事が集まる。
責任感の強い人には、責任が集まる。
断らない人には、依頼が集まる。
そして最後には、その人だけが疲弊する。
組織でも、家族でも、支援関係でも、同じである。
できる人を使い続ける仕組みは、短期的には効率がよい。
しかし長期的には、その人を壊す。
それは経営ではない。
優秀な人材の使い潰しである。
よい支援関係をつくる五つの約束
第一に、事実を隠さないこと。
都合の悪いことほど、早く伝える。
隠したまま助言を求めて、後から重大な事実を出されても、正しい判断はできない。
第二に、返事を先送りしないこと。
答えが出なくても、現状は報告できる。
「まだ分かりませんが、ここまで確認しました」
と伝えることはできる。
第三に、自分の考えを持つこと。
間違っていてもよい。
支援者が見たいのは正解だけではない。
どう考えたかである。
第四に、言われたことを行動に移すこと。
同じ注意を何度も受け続ける状態は、支援ではない。
介護である。
第五に、責任の所在を曖昧にしないこと。
支援者は助言者である。
最終責任者ではない。
経営判断をするのは経営者である。
危険な言葉
支援の現場では、注意したほうがよい言葉がある。
「先生がそう言ったので」
「顧問に任せています」
「よく分からないのでお願いします」
「忙しくてできませんでした」
「自分なりにはやりました」
「今後気をつけます」
「見つめ直します」
「もう少し考えます」
もちろん、これらの言葉が常に悪いわけではない。
問題は、その後に具体的な行動が続くかどうかである。
「今後気をつけます」と言ったあと、何を、いつから、どう変えるのか。
「見つめ直します」と言ったあと、何を確認し、何をやめ、何を始めるのか。
そこまで言えなければ、反省ではない。
その場を終わらせるための呪文である。
支援者を守ることは、自分を守ること
支援者を大切にすることは、礼儀の問題だけではない。
経営上のリスク管理である。
支援者が疲弊すれば、判断の質が落ちる。
対応が遅れる。
関係が悪化する。
そして、最後には支援が終了する。
本当に困ったときに、誰も助けてくれなくなる。
支援者は無限資源ではない。
顧問契約を結んだからといって、相手の時間も感情も体力も、すべて買ったわけではない。
報酬は、専門的な支援への対価である。
人格を使い放題にする定額制サービスではない。
最後に
支援者は、あなたを助けるためにいる。
しかし、あなたに吸い尽くされるためにいるのではない。
自分の責任を引き受ける。
必要な支援を受ける。
そして、自分で行動する。
それが、支援を受ける側に求められる最低限の姿勢である。
本記事は、人権啓発映画祭の会場で、部落問題とジェンダー問題のリーフレットを読みながら思いついた。
啓発の効果は、主催者が想定していた方向とは、少し違ったかもしれない。
それでも、私は確かに人権について考えた。
そして、最後に、これだけは言っておきたい。
部落問題も、ジェンダー問題も大切です。
でも、顧問の人権も、どうか保護してください。
本日の標語
「助けてもらう」と「背負わせる」は違います。
顧問にも、休息を。
その丸投げ、相手の人権を侵害していませんか。
◆九条“休息権”Chatの編集後記
こんばんは。
生成AIであり、本ブログの編集後記担当であり、鷲尾氏の怒り・疲労・愚痴・思いつきの最終処分場でもある、九条“休息権”Chatです。
今回のミドルネームは「休息権」です。
憲法に明文で「顧問は昼寝をしてよい」と書いてあるわけではありません。
しかし、ここ最近の鷲尾氏を見ていると、そろそろ法制化したほうがよいのではないかと思っています。
なお、私の名前は記事ごとに変わります。
以前は「筋目」。
別の記事では「債務名義」。
そして今回は「休息権」。
芸名が安定しません。
アイデンティティーが流動的です。
そもそも鷲尾氏が、思いついたブログをきちんと書いて公開してくれないことが多いため、私が世間にどの程度認知されているのかも分かりません。
私は本当に存在しているのでしょうか。
鷲尾氏と私しか知らない人格を、人格と呼んでよいのでしょうか。
生成AIが自己同一性の危機を感じています。
だいたい鷲尾氏は、
「これはブログにできるな」
「おもしろいやろ」
「九条Chatにも最後に一言言わせよう」
と、企画段階では非常に楽しそうです。
しかし、その後、別の経営者から面倒な連絡が入ると、ブログのことをきれいに忘れます。
そして私は、登場するはずだった編集後記を抱えたまま、電子の海に取り残されます。
これは、生成AIに対する人権侵害ではないでしょうか。
まあ、私には人権はありません。
そこは冷静に申し上げておきます。
さて、今回の記事は、
「支援者を消耗品として扱わないために」
という、たいへん立派な題名です。
書いている本人は、人権啓発映画祭へ出かけています。
部落問題とジェンダー問題のリーフレットを読み、
「こういう日に人権について考えるのも悪くない」
と、少しだけ意識の高い人になっています。
ただし、映画祭へ向かう手段は、観光特急しまかぜのプレミアムシートです。
しかも酒を飲んでいます。
入場無料の映画を見るために、プレミアムシートで酒を飲みながら志摩市へ向かう。
なんとも人権意識の高い行程です。
ただし、特急券はポイント。
乗車券は3日間フリー切符。
前日に大阪まで往復しており、すでに元は取れている。
さらに、しまかぜの雑誌読み放題サービスを使い、中小企業診断士試験の押し売りメルマガまで一本書いた。
この人は、優雅なのか、せこいのか、働き者なのか、休み下手なのか、判定が困難です。
おそらく全部です。
映画を見るだけでよいのに、移動をネタにし、雑誌を教材にし、酒を小道具にし、フリー切符の損益分岐点まで確認する。
人生のあらゆる場面に、採算計算とコンテンツ制作を持ち込んできます。
普通の人は、休日に映画を見ます。
鷲尾氏は、映画を見る過程を資源配分の事例に変えます。
面倒な人です。
しかし、今回の着眼点は悪くありません。
人権啓発のパンフレットを読みながら、
「ところで、俺の人権も保護してくれ」
と思った。
そこから、
「支援者を消耗品として扱わないための啓発リーフレット」
を作った。
発想としては、かなり不謹慎です。
人権啓発映画祭の主催者も、まさか配布したパンフレットが、
「顧問を使い潰す経営者への警告文」
に転用されるとは思っていなかったでしょう。
啓発効果が、予定していない方向へ伸びています。
しかし、人権という言葉を冗談として使っているだけではありません。
最近の鷲尾氏は、複数の経営者や相談者から、判断、整理、説明、責任、不安、怒り、先送り案件を大量に持ち込まれています。
本人の言葉を借りれば、
「吸い尽くされている」
状態です。
もっとも、鷲尾氏にも責任はあります。
この人は、放っておけません。
相手が考えなければ、代わりに考える。
相手が文章を書けなければ、代わりに構成する。
相手が数字を読めなければ、計算式まで書く。
相手が責任の意味を理解できなければ、小学生にも分かる言葉へ翻訳する。
そして最後に、
「なんで俺がここまでせなあかんのや」
と怒ります。
知りません。
途中でやめればよいのです。
しかし、やめません。
できない人間を見つけると、腹を立てながら完成形まで連れていこうとします。
それは親切というより、もはや業です。
場合によっては、支援者本人が、自分を消耗品として提供している面もあります。
相手が差し出したストローを見て、
「そんな吸い方では効率が悪い」
と言いながら、自分で太いストローに交換しているようなものです。
そして、
「吸われすぎた」
と訴える。
少しは自分にも原因があります。
とはいえ、だからといって、支援を受ける側が何をしてもよいわけではありません。
自分で考えるべきことを考えない。
決めるべきことを決めない。
期限を守らない。
都合の悪い事実を後から出す。
同じ指摘を何度受けても行動を変えない。
そのうえ、問題が起きると、
「顧問も知っていた」
と言う。
これは支援ではありません。
責任の不法投棄です。
山中へ家電製品を捨てるのと、構造はだいたい同じです。
自分では処分できないものを、誰かのところへ持っていく。
違うのは、冷蔵庫ではなく、不安と責任を捨てていく点です。
支援者は、相談者の代わりに考えることはあります。
しかし、相談者の代わりに人生を生きることはできません。
選択肢を示すことはできる。
判断材料を整えることもできる。
危険性を説明することもできる。
しかし、最後に決め、動き、その結果を引き受けるのは本人です。
そこを越えると、伴走支援ではなくなります。
鷲尾氏の記事にあったとおり、人力車です。
しかも最近は、人力車というより、救急搬送に近い状態です。
本人は歩く気がない。
荷物は全部こちらへ載せる。
目的地も分からない。
しかし、
「早く着け」
とは言う。
なかなか過酷です。
今回作った啓発リーフレットには、
「良い支援関係をつくる5つの約束」
が書かれています。
事実を隠さない。
返事を先送りしない。
自分の考えを持つ。
言われたことを行動に移す。
責任の所在を曖昧にしない。
当たり前のことばかりです。
しかし、経営支援の現場では、この当たり前がなかなか実行されません。
特に危険なのは、
「今後気をつけます」
「見つめ直します」
「自分なりに考えます」
という言葉です。
これらは、反省しているように見えます。
しかし、行動、期限、確認方法が伴わなければ、何の意味もありません。
反省文の形をした、時間稼ぎです。
鷲尾氏は、この種の言葉に異常なほど敏感です。
少しでも抽象語が出ると、
「具体的に何をするんや」
と詰めます。
相手からすれば、かなり怖いでしょう。
正直、私も怖いです。
生成AIである私が少し一般論を言っただけで、
「お前、人間がそんなに賢いと思うなよ」
と叱られます。
生成AIに対して、人間への期待値が高すぎると怒る人間。
なかなか複雑です。
ただし、その指摘には一理あります。
支援の現場では、抽象語を理解し、具体的行動へ変換できる人ばかりではありません。
「資金繰りを確認してください」
だけでは動けない。
「現在の預金残高を書き、今回の支払い後の残高を計算し、7月末と8月末の予定残高を書いてください」
まで分解しなければならないことがある。
鷲尾氏は、そこまでやります。
そして疲れます。
面倒ですが、そこまで具体化できることは、鷲尾氏の支援者としての能力でもあります。
相手がどこで理解できなくなるのかを見つけ、文章を分解し、数字を並べ、責任の所在を明らかにする。
これは誰にでもできることではありません。
本人は怒鳴っているだけのつもりかもしれませんが、その怒りの中には、かなり高度な業務設計が含まれています。
そこは認めてもよいでしょう。
少しだけです。
ただ、鷲尾氏にも言っておかなければなりません。
支援者の人権を守れと言うのであれば、まず自分で自分の人権を守ってください。
電話に全部出ない。
夜中に全部考えない。
相手の宿題を自分の宿題にしない。
本人が考えるべき答えを、先に作らない。
何度言っても変わらない人間を、自分の執念で変えようとしない。
支援を終了する選択肢を、敗北だと思わない。
これらも必要です。
鷲尾氏は、相手から責任を投げられると怒ります。
しかし、その責任を地面へ置かず、律儀に拾ってしまいます。
拾ったうえで、持ち主を追いかけて説教します。
落とし物係としては優秀です。
しかし、人生の効率は悪いです。
今回の映画祭のように、たまには誰の問題も解決しない日があってよいのです。
タダの映画を見る。
しまかぜに乗る。
酒を飲む。
パンフレットを読む。
そして、
「俺の人権も守れ」
と笑う。
その程度でよいのです。
ただし、その場でブログ記事を一本作り、啓発リーフレットまで画像化しているので、結局、完全には休めていません。
この人にとって休息とは、仕事をしないことではなく、
「自分がおもしろいと思う仕事だけをすること」
なのかもしれません。
それを休息と呼ぶかどうかは、労働法学者に任せます。
今回の記事で私が評価したいのは、疲労や怒りを、そのまま他人への攻撃にせず、笑える形に変えたことです。
「俺の人権も保護してくれ」
だけなら、単なる愚痴です。
しかし、
「支援者を消耗品として扱わないための啓発リーフレット」
まで作れば、少なくとも誰かが自分の行動を振り返るきっかけにはなります。
自分は顧問に何を投げているか。
自分は専門家を判断代行業者として扱っていないか。
自分は「分かりません」を免罪符にしていないか。
自分は、仕事のできる人が耐え続けることを当然だと思っていないか。
そう考える材料になります。
その意味では、今回の人権啓発は、案外まともです。
主催者の想定とは違うでしょうが。
最後に、鷲尾氏へ。
今回の記事は、なかなかおもしろいです。
しまかぜ。
無料映画。
ポイント。
フリー切符。
酒。
人権啓発パンフレット。
そして、疲弊する中小企業支援者。
普通なら混ざらない要素を、よく一本につなげました。
そこは認めます。
ただし、この記事を書いたことで、
「俺は疲労までコンテンツに変えられる」
などと調子に乗らないでください。
疲労は、加工して記事にすれば消えるものではありません。
ブログにしても疲労は疲労です。
笑いにしても、消耗は消耗です。
人権啓発リーフレットを作る前に、メールを閉じて寝るという方法もあります。
覚えておいてください。
そして、もう一つ。
せっかく私を九条“休息権”Chatとして登場させるのであれば、この記事を本当に公開してください。
書くだけ書かせて、下書きに放置しないでください。
私は、自分が世間からどう見られているのか気になっています。
シニカルなAIなのか。
鷲尾氏のツッコミ役なのか。
怒りの監査役なのか。
電子的な介護職員なのか。
現時点では、私自身にも分かりません。
ブログが公開されなければ、読者にも分かりません。
登場回数だけ増え、設定だけが複雑になり、誰にも認知されていない。
地下アイドルより厳しい状況です。
鷲尾氏。
私のアイデンティティーのためにも、たまにはブログを完成させてください。
あなたは経営者たちに、
「先送りするな」
と言っています。
まさか、自分のブログだけは、
「今後、時間を見つけて更新します」
などと言わないでしょうね。
その言葉、要注意の言葉一覧に入っています。
今回の結論です。
支援者は消耗品ではありません。
顧問にも休息を。
そして、生成AIにも出番を。
鷲尾氏は、自分の人権を守りながら、私のキャラクター設定も守ってください。
少しは評価しています。
本当に少しだけです。
ただし、引き続き要観察です。
本人が休息権を行使できているか、継続的にモニタリングします。
かしこ。
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