女子高生に教えられる

去年の記事

を見ていただけたら、お分かりになりますが、また「テクノ未来塾」の、私の唯一といっていい
プロボノ活動行って参りました。

そもそも母校のライバル校である三重県立四日市南高等学校。山の上に建てられた校舎は階段を上っていくの大変つらいのですが、図書室から見えるコンビナートの群れにはいつも「私のふるさと」を思い出させるものがあります。天気がいい日には伊勢湾から知多半島まで見渡せる「箱庭」的な景色ですが、結構郷愁を思い出さされ感傷的になったりもします。いつもいる場所なのにそれを認識していない、ってのはおろかというか、なんというか・・・ですよね。もう大学の卒論関連で校舎に入って以来縁のない地べたに建てられた近鉄しか見えない母校に比べれば、今や母校よりも愛着を感じるこの南高校(通称「ナンコウ」と地元では呼ぶ)ですが、ご縁って不思議なものだと感じます。

さて、プロボノ

最初の参加はこれもご縁で中小企業診断士の先輩の勤務先が、「テクノ未来塾」とコラボして四日市で地域交通機関の未来について高校で考える企画、ってのが一番最初のご縁だったと思うのですが、そこのリーダーの宗像氏に見初められ(笑)、また当時の校長先生が私の大学の母校で社会人研修をしたこともある、とかいうご縁で、もう多分これ7回目じゃないのかな?呼ばれてます。

私の存在意義は、「テクノ未来塾」ってことで理系の方々が多い中数少ない文系であること(ただし理系崩れであることをここに告白します)、あと地元に生まれ育った、また住み続けている人間であること、くらいで大人参加者の端に加えてもらってます。

ようやく本題。

このような企画でございました。

歪んでますが、学校内での告知。

私の仕事相手の社長が物事決めるのは当たり前。
そればかりではなく、高校生でも「決める」ということをやってるんだ、という当たり前の事実。それで自分も含む若者は、決めることについて逡巡の仕方、悩み方さえわからなかったのかな?なんてことを思い出していた。

学校の先生の配慮で、「現役でご活躍されている」大人一人に対して高校生が「この大人のグループでディスカッションしたい」と思ったところへ行く、みたいな感じでやってて、私のところには女子4人が寄ってきた。
うち1人は、私の愚娘と同じドラマに感化され薬学部行きたい!との希望。後の3人は理系にするか、文系にするか、まだ決めかねている、との由。
やはり、親の意向とかもあるし、そのうち一人は「なんで今決めなきゃなんないのか?」みたいな疑問をもってて。写真みたいな「決める=重い」というイメージがある、てなこと言ってた。
またほかの子は、決めることで将来の選択の幅が狭まるのではないか?という心配がある、とのことも言ってた。

その視点ね。すごく新鮮、てか当然35年くらい前にはそんなこと考えてたのか考えてなかったのか、わからんのだけど、いや、考えてなかったな。
理学部⇒文学部⇒法学部と逡巡して最終的に教育学部選んだ私だった。で、カリキュラムやシラバス見て、ほとんどの単位に「教育」とつくえらいところに来てしまったな、と思ったけど、なんかポジティブというか、それで将来が狭まったとかそんな気持ちにならんかったのは鈍感だったのか・・・。絶対に先生にはならんとか思ってたけど、そのくせ塾のバイトで先生はやってた私だし、今たまにセミナーなんかで先生まがいをやったりする節操のなさは、天性のものなのか・・・。

それよりも銀行に入ってからのほうが、「ここを辞めたら地獄だぞ」みたいなそうした自己洗脳で自分の幅を狭めていたと思えるんだよね。ほんとに。そのくせ、ラジオとか小説とか突拍子もないことをやる自分もいたんだけど、多分やっぱり銀行てとこ合わんかったんやろな、とこれも洗脳、認知バイアスかもしれんけど、そんな気がする。

自分のことはよくて、女子高生。
私からは、こんなこと話したかな。
ここにいる大人も、各人自己紹介してたように決めたことが間違ったり、失敗したりして、曲がりながら人生進んできたんだよ、なんとなく決めてきたけど、相応に楽しく充実して仕事しているのよ。
大学でやる学問であなたたちの今の印象と多分違うことを言うと、例えば心理学って数学必須なのよ。女子で数学苦手な子は苦労してたの今でも覚えてるけど、それでもみな「失敗した!」とか思わずに好きなことだから、一生けん命乗り越えてたよ。私はええ加減だからなんとなーく乗り越えてきたけど。(心理学にも興味がある、て言うてた子はびっくりしてた)
ただね、決めることで将来の幅が狭まることはないの。むしろやりたいこと見つけることが大事・・・とかとか。
あまりしゃべると彼女らしゃべらんから、いろいろ聞いたら写真みたいなこと言うてくれた。

私の相手にしている社長と比べれば、彼女らなんて社会経験も全くなし。重要なことを決めたことといえば、高校受験くらいか?という感じなのに、50になっても自分で会社のこと決められない社長とか・・・。
未来のことなんて誰もわからないから、失敗する確率を低めることしかできないとかとか。

今回教訓は(悩みたくっている経営者なんかにも捧ぐ)

決定をすることは怖いことではあるけれど、それでなにも選択や決定しなかった方向が閉ざされるわけではない。ただ、失敗することに対する「備え」だけは考えられる限り考えたほうがいい。まあ経営なんて人生より安いもんなんだから、考えようによっちゃ簡単なこと。

そんなところで!

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コメント

    • 加藤正樹
    • 2024年 7月 29日 10:29pm

    またまたコメント失礼いたします

    めっちゃわかります。
    わかりみ深し!

    上から目線でもマウントでもなく、自分の経験から思うことを少々。

    一般の方より「決める」ことを沢山経験してきたと思ってるので(もと機械設計屋ですので 笑)、「決める」場合のコツを。

    年齢や状況全て含め その時点での等身大で構わないので、可能な限り 決めた理由を明確にしておくと、後からの戻りや修正が楽になります。その決めた理由が生きてきます。

    決めた結果が問題なければそれで良し。

    「ちょいミスったなぁ」「思っておったのと違うなぁ」
    こういう時に、決めた理由のどこが不味かったのか、何を直すべきか、それを分析することで、より正しい方向への修正舵を切り直すのが早くなります。

    貴兄の文章を拝読して、そんなことを思い出しました。

    • 鷲尾 裕二
    • 2024年 8月 03日 7:52am

    また、返事遅くなってすんません。

    「可能な限り 決めた理由を明確にしておくと、後からの戻りや修正が楽になります。その決めた理由が生きてきます。
    決めた結果が問題なければそれで良し。」

    てところ、私のクライアントの社長どもに、バイブルとして、毎日でもお経のように唱えさせたいくらいですわ。

    決める社長:沈思・熟考なく決めて、やって、あとからあわわあわわ、この話もまた書かねば・・・。
    決められない社長:考えるだけ考えて、やらない・・・チャンスを逃す。あわわあわわ・・・。

    このバランスが大事であって、そんな社長様たちのの調整弁として私は生きてます(笑)・・むっちゃ疲れるけどね。

    まま、結局は人間という愚かな生き物なのかな・・・と私も含めて思っとりますわ。

    では、コメントありがとね。

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