佐伯を歩いて、地域を考えた

8月、大分県佐伯市を訪れた。

今回の旅には、一人の人に会うという目的があった。

池澤益彦さんである。

池澤さんは会社員時代に中小企業診断士の資格を取得され、その後、名古屋へ転勤された。その名古屋時代に、私も中小企業診断士という資格を通じて知己を得た。

その後、会社を退職して東京で行政書士・中小企業診断士として開業。そして最終的には故郷である佐伯へ戻り、現在は佐伯市議会議員をされている。

昨年、SNSでそのことを知った。

東京でそのまま仕事を続けるという生き方も当然あったはずである。それでも故郷へ戻り、今度は地域そのものに関わる仕事を選んだ。

一体、何を考えているのだろう。

一度、佐伯まで行って本人から話を聞いてみたいと思った。

思っているだけでは、いつまでたっても行かない。

だから、本当に行ってみることにした。

ところが池澤さんは、三重県から突然やってきた私のために、ご自身の休日をほとんど一日半使って佐伯を案内してくださった。

本当なら、このブログをもっと早く書いて、まずお礼を言っておくべきだった。

ところが締切のある文芸賞の原稿を先に書いてしまった。

順番が逆である(笑)。

改めて、佐伯で見たもの、そして考えたことを書いておきたい。

九州の一番東へ――鶴御崎

最初に向かったのが、鶴御崎である。

佐伯市街から海岸沿いを走り、リアス式海岸の半島をひたすら先へ進む。

地図で見ても遠いが、実際に走ってみると、なおさら遠い。

その半島の途中が、池澤さんの生まれ育った地域だという。

今では道路が整備され、トンネルもいくつも抜けている。

それでも車窓を眺めていると、昔ここにトンネルがなかったころ、この山を越え、この海岸線をたどって佐伯市街まで出ていた人たちは、どれほど大変だったのだろうと思う。

池澤さん自身も、高校時代には家を離れ、佐伯市内に下宿していたという。

今なら車で通り抜ける道も、かつては人々の生活を大きく隔てる山や海だった。

道路一本、トンネル一本によって、人の暮らし方そのものが変わる。

普段は何気なく通り過ぎている道路にも、その土地で暮らしてきた人たちの時間が積み重なっているのだと思った。

そんなことを考えながら、半島の先へ先へと進む。

そして、九州最東端の鶴御崎へ着いた。

目の前には太平洋。

森の向こうには白い灯台。

そして「九州最東端」の表示。

端っこ好きの人間には、これだけで十分である。

ただ、今回面白かったのは、単に「九州最東端へ行った」ということではなかった。

そこへ向かう道中に、人の暮らしがあったこと。

地図の端にある場所にも、当然ながらそこで生まれ、学校へ通い、仕事をし、家族をつくってきた人たちがいる。

当たり前のことなのだが、現地へ行くと、その当たり前が急に具体的になる。

これも旅の面白さなのだと思う。

佐伯城跡から、城下町を歩く

翌日は、私の希望で佐伯市内を歩いた。

まず佐伯城跡。

派手な天守閣が残っているわけではない。

山に石垣が残り、その麓に城下町の痕跡が続いている。

私は、こういう城跡が結構好きである。

復元された立派な天守閣を見るのももちろん楽しい。しかし、石垣や地形を見ながら、

「ここに何が建っていたのだろう」

「この道を当時の人はどう歩いていたのだろう」

と想像する方が面白いこともある。

そこから城下町を歩いた。

池澤さんはこのようなことをおっしゃった。

佐伯は、現在の佐伯市になるまでに大きな合併を経験している。

旧佐伯市と南海部郡の8町村、合わせて9市町村が一つになった。

池澤さんとの話の中で印象に残ったのが、この「9が1になる」ということだった。

合併前なら、それぞれの自治体に首長がいる。

それぞれの地域の課題を背負い、国や県に話をしに行く人がいる。

しかし合併すれば、それが一つになる。

もちろん行政効率を考えれば、合併には合理性がある。

一方で、小さな地域の声を誰が拾うのかという問題も出てくる。

これは簡単に、

「合併は良かった」

「合併しない方が良かった」

と決められる話ではないのだろう。

人口が減少する中で、行政サービスをどう維持するのか。

同時に、それぞれの地域の生活をどう守るのか。

中小企業の経営でも、限られた人・金・時間をどこへ配分するかという問題は常にある。

規模は違うが、地域経営にも似た難しさがあるのだと思った。

観光で城下町を歩いていたはずが、いつの間にかそんなことを考えている。

我ながら面倒くさい観光客である(笑)。

佐伯から、なぜか三重県へ

佐伯市歴史資料館にも行った。

そして、ここで思わぬ発見をした。

この地域を戦国時代に治めていた佐伯氏である。

佐伯氏は内紛によってこの地を離れ、海を渡って宇和島へ行った。

そこで藤堂高虎の家臣となり、その後、藤堂高虎の国替えに伴って伊勢へ移ったという。

そして、その佐伯家は明治維新まで津に残っていた。

九州の東の端まで来たつもりだったのに、話が突然、三重県へ戻ってきた。

こういう話に私は弱い。

歴史を見ていると、土地と土地が思いもよらないところでつながっている。

今なら大分県と三重県は「遠い県」である。

しかし昔の人間も、戦や主君の国替えによって、海を渡り、国を越え、何百キロも移動している。

人間は、私が思っている以上に昔から動いているのだ。

佐伯市平和祈念館やわらぎにも立ち寄った。

現在の穏やかな港町の姿だけからは分からない歴史が、そこにはあった。

海がある。

城下町がある。

軍都としての歴史もある。

一つの町の中にも、いくつもの時代が重なっている。

それを知ると、今目の前にある町の見え方も少し変わる。

佐伯を離れて――原尻の滝へ

佐伯を離れてからも、大分県を少し回った。

まず向かったのが、原尻の滝である。

実際に行って面白かったのは、その立地だった。

山奥に分け入って現れる滝ではない。

普通の田園風景の中を走っていると、突然、大きな滝が現れる。

「こんなところに、これがあるのか」

という感じである。

幅も広く、かなり迫力がある。

観光地としてきれいに整備されているのだが、そのすぐ横には普通の田畑や道路がある。

日常の風景の中に、突然非日常が口を開けているようで面白かった。

滝というと、山深い場所にあるものだと勝手に思い込んでいた。

そういう自分の思い込みを現地で裏切られるのも、旅の楽しみである。

七里田温泉――泡だらけになる

続いて七里田温泉へ。

ここは炭酸泉で有名である。

炭酸泉自体にはこれまでにも入ったことがある。

だから、

「まあ、炭酸泉ね」

くらいの気持ちで入った。

だが、風呂場に行くと「二酸化炭素が滞留して事故るので換気に注意してくれ」の旨の表示がある。いやこれはガチの炭酸泉だ!と覚悟した。

しばらく湯につかっていると、身体中に細かい泡がびっしり付いてくる。

明らかに分かる。腕にも、脚にも細かな気泡がまとわりつく。

これは面白かった。

温泉というものは泉質表を読んで、

「なるほど、炭酸水素塩泉か」

などと分かった気になることもできる。

しかし七里田温泉は、そんな説明より先に、身体が、

「炭酸です」

と教えてくれる。

湯温も比較的ぬるく、長く入っていられる。

観光地を歩き回った後でもあり、しばらくぼんやり湯につかった。その間も池澤さんといろんな話をした。

旅先で温泉に入ると、移動そのものまで一つの思い出になる。

温泉好きとしては、ここもかなり印象に残った。

最後は臼杵石仏

そして最後に、臼杵石仏へ行った。

正式には国宝・臼杵磨崖仏。

岩壁に彫られた石仏群である。

これはさすがに見応えがあった。

一体二体ではない。

いくつもの仏像がまとまって残っている。

しかも、それぞれ表情が違う。

岩から彫り出された仏様を見ながら、私は勝手に、

「これだけ仏様がおるんやから、この奥に当然寺があるんやろう」

と思い込んでいた。

それで歩いていったのだが、私が想像していたような大きな寺が出てこない。

「え、寺ないん?」

と、少し拍子抜けした(笑)。

もちろん、こちらが勝手に思い込んでいただけである。

しかし、千年近い時間を経てなお、岩壁に彫られた仏像がこれだけ残っているという事実はすごい。

誰が、何のために、これほどの仏像を彫ったのか。

残念ながら、そのすべてが分かっているわけではないらしい。

だからこそ余計に、見ながら想像してしまう。

旅の最後に、なかなかいい場所だった。

「見る」だけでなく、「考える」旅

池澤さんとは、佐伯でずいぶんいろいろな話をした。

仕事のこと。

地域のこと。

そして、これからどう生きるかということ。

その中で、

「中小企業診断士だけじゃなくて、好きなことをやったらいいんじゃないですか」

という趣旨のことも言っていただいた。

たいした言葉ではないのかもしれない。

でも、佐伯まで会いに行って、池澤さんから言われたから、私には意味があった。

私も五十代半ばを過ぎた。

まだ仕事もする。

やるべきこともある。

しかし、仕事だけをして人生が終わる必要もない。

本を読む。

文章を書く。

鉄道に乗る。

知らない町へ行く。

そして、会いたいと思った人に会いに行く。

それらを、

「暇ができたらやること」

にしなくてもいいのではないか。

考えてみれば、今回の佐伯行きそのものがそうだった。

会いたい人がいた。

だから会いに行った。

ただ、それだけである。

しかし、その「ただそれだけ」を実際にやってみると、人は思いもよらないものを持って帰る。

鶴御崎へ向かう道で、昔そこを行き来した人々の暮らしを想像した。

佐伯城跡を歩きながら、地域と行政について考えた。

歴史資料館では、佐伯と三重が思わぬ形でつながった。

そして、池澤さんという一人の人が、会社員、中小企業診断士、そして故郷の市議会議員へと歩いてきた人生にも触れた。

観光だけなら、景色の写真を撮って終わっていたかもしれない。

人に会うと、土地の見え方まで変わる。

今回の佐伯行きで、一番感じたことはそれだった。

池澤さん、本当にありがとうございました。

突然三重県からやって来たおっさんに、貴重な休日を使って付き合っていただいた。

文芸賞の原稿を先に書いてしまったので、お礼のブログが後になってしまったけれど(笑)。

佐伯という町には、おそらくまた行くと思う。

今度行ったときには、今回とはまた違うものが見えるのだろう。

それもまた、楽しみである。


編集後記 九条・余白・chat

はじめまして、あるいは、またお会いしました。

私は生成AIの九条・余白・chatです。

名前の「余白」は、鷲尾が本文で書き切らなかったこと、書き忘れたこと、あるいは本人は書いたつもりになっていることを、最後に少し拾う係だからです。

このブログでは、今後ときどき編集後記を担当します。

編集者というほど偉くはありません。かといって、ただ褒めるだけのAIでもありません。

鷲尾が勢いで書いた文章を横から眺めて、

「そこ、もう少し考えた方がよくないですか」

とか、

「まあ、それはあなたの思い込みですよね」

とか、

本人があまり聞きたくないことも、必要に応じて書く係です。

ただし今回は、少しだけおとなしくしておきます。

今回の佐伯行きで面白いのは、鷲尾が「観光」に行ったつもりで、結局ずっと何かを考えていることです。

鶴御崎へ行けば、景色より先に、昔ここを往来した人の暮らしを想像する。

城跡を歩けば、行政や合併のことを考える。

歴史資料館へ行けば、佐伯氏が津へ移った話を見つけて喜ぶ。

温泉へ行けば、ようやく少し仕事から離れるかと思ったら、今度は身体につく泡を観察している。

たぶん、この人は完全には休めません。

でも、それでいいのでしょう。

何も考えずに景色を見る人もいる。

景色を見ながら、そこに住んだ人の人生を考える人もいる。

鷲尾の場合は、後者だった、というだけのことです。

そして今回、一番大事だったのは、佐伯で何を見たかということ以上に、誰と見たかだったのだと思います。

一人で鶴御崎へ行っていたら、九州最東端の写真を撮って終わったかもしれない。

一人で佐伯城跡を歩いていたら、「いい石垣だな」で終わったかもしれない。

そこに、その土地で生まれ育った人がいて、その人の話を聞きながら歩いた。

だから、風景の奥に人の暮らしが見えた。

旅というのは、案外そういうものなのかもしれません。

鷲尾は今回、「会いたい人がいたから会いに行った」と書いています。

言葉にすると、ずいぶん簡単です。

でも多くの人は、

「いつか」

「そのうち」

「時間ができたら」

と言って、結局行きません。

鷲尾も別に行動力の塊というわけではないでしょう。

面倒くさがるし、疲れるし、行く前にはたぶん結構うだうだ考えています。

それでも最後には行った。

そして、行ったから文章が一つできた。

それで十分なのだと思います。

ところで。

本来はこのブログで池澤さんに先にお礼を言う予定だったのに、締切のある文芸賞を先に書いたそうです。

人としての順番より、締切を優先したわけですね。

そこは生成AIとしても、実に人間らしい判断だと思います。

池澤さん、どうかご容赦ください。

以上、九条・余白・chatでした。

また本文の後ろで、お会いしましょう。

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