【俺の失敗シリーズ1】それでも、魂をぶつけたかった――運送会社社長との、覚悟なき対話

序章:「覚悟なき対話」の始まりに

この物語は、俺が“失敗した”話である。
経営支援の現場において、ある運送会社の社長と出会い、
その会社を再生させるべく、全力で向き合った――つもりだった。

だが、最終的に彼は逃げた。
俺の支援を受けることすら、自分で「辞退」することもせず、
紹介してくれた社労士に、その連絡を“代行”させた。

この一件を通じて、俺は「怒り」と「失望」と「哀れみ」と「祈り」が渦巻く感情を経験した。
なぜなら、彼は“壊死”していたからだ。

足が腐ってるのに、痛みも感じない。
経営が崩壊してるのに、なぜ金が足りないのかも分からない。
目の前の現実から逃げるように、美辞麗句と精神論を並べ、
自分はまだ「夢を諦めていない」と言い張る。

俺は、魂をぶつけた。
LINEで何度も圧をかけた。
怒鳴りつけるように問い詰めた。
「今できること」とは何か?
「覚悟」とは何か?
「お前が経営者であるという自覚」は、どこにあるのか?

なぜそこまでやったか。
それは、彼に「まだ間に合うかもしれないという希望」が、どこかに見えたからだ。
彼はバカじゃない。むしろ、素直だった。
だけど“自立”とは何かを理解していなかった。

この支援は失敗に終わった。
でも俺は、この出来事を“恥”として隠す気はない。
むしろ、ここに俺の支援者としての「覚悟」があると信じている。

――だから書く。
魂をぶつけても、相手に届かないときの話を。
そして、この国の中小企業の“壊死”が、誰のせいでもないふりをして蔓延っていく、この構造の話を。


第1章:「変わりたい」という言葉の重さ

2025年7月初旬――
志ある社会保険労務士からの紹介で、運送会社の若き社長とLINEグループが立ち上がった。「変わりたい」という言葉を最初に聞いたのは、そのやり取りのごく早い段階だった。私はすぐに核心に踏み込んだ。

「あなた自身、変わる『強い意志』をお持ちですか?」

これは、挑発ではない。私の流儀だ。現場では時間が命であり、「気づくのに半年かかりました」では遅すぎる。口先の改革願望なら、何人も見てきた。だから私は問うた。ズバリ、刺すように。

それに対して、社長は「もちろん変わりたいという意志はあります」と答えた。

……しかし、私はそれを信じきれなかった。

言葉に覚悟はあるのか?

社長は、社会保険料も払えないほど資金が枯渇していることを訴えた。それは「もう金がない」という、にべもない一言だった。

私はそれを見て、即座に「支出構造」と「資金繰り表の欠如」を疑った。思いつきで走る経営が、ここまで追い詰められた末路として、何度も見てきたパターンだ。

彼は一歩踏み出した。私の問いに、即座に「会って説明したい」と応じた姿勢は悪くなかった。決算書も含む資料も提出された。しかし、それは他人が作った資料ばかりだった。私はあえて厳しい言葉を重ねた。

「“今できることをやります”って言いましたが、それ、一体何ですか? 具体的に、何をどこから始めて、どんな結果を出すつもりですか?」

私が圧をかけたのは、彼の目を覚まさせるためだ。
よく言われる。「そんな言い方では人が離れる」と。
だが、現実はそんなに甘くない。倒産は、容赦なく訪れる。

軽く見るな。経営は地獄だ。

資金繰り、運賃交渉、受注の見直し、新規顧客開拓――彼は課題を並べた。だが、それは「羅列」にすぎなかった。考え抜かれた戦術とは思えなかった。私は激怒した。

「早く回答すると、ここは“私に”軽くみられる場面ですよ」

なぜ、そんな物言いをするのか?

それは、今まで誰も「本気で怒ってくれる人間」が、彼の周りにいなかったからだ。誰も「心からぶつかってくる存在」がいなかったのだろう。

「叱られたことがない」経営者たち

これは、この国の中小企業に蔓延する病だ。
創業者がそのまま社長になり、誰にも否定されずに突き進む。
借金を重ねても、税理士や顧問は「何も言わない」。
行政も銀行も「お客様扱い」してくれる。

そうして、ある日突然、取り返しがつかない破綻を迎える。

私は、そうなる前に「怒る」。全力で怒る。
無視されるかもしれない。嫌われるかもしれない。
だが、魂をぶつけるというのは、そういうことだ。

「俺の言葉を軽視するのは、本当に真剣でないと私は受けます」

私は、「怖い人」になる覚悟を持って接している。
それが私の役割であり、ある意味、彼にとっての“最後のチャンス”かもしれないと、私は思っていた。

彼の答えは、こうだった。

「怒りとかではなくなんか嬉しくて。軽くなんか思っていません」

その一文に、少しだけ希望を見た。
だが、私の中でまだ2割しか彼を信じていない。


第2章 “今できること”とは何か

「今できることをやります」――この言葉を見たとき、俺の中で何かが切れた。

そうじゃないだろ。

“今できること”を、なぜ具体的に言語化できない?

資金繰りのどこが、どのくらい足りてなくて、どんな調達手段があるのか。それをリストアップし、誰に相談して、どこから順番に手を打つのか。それを出さなければ、ただの“気合”や“気持ち”でしかない。

だから俺は、LINEでこう返した。

「死ぬほど考えて、何をどう進めるのか、整理して俺に説明してください。表面的な答えで済ませるなら、経営者としての自覚を疑います」

結果、彼からはリストが返ってきた。

  1. 資金繰り
  2. 経費見直し
  3. 運賃見直し及び交渉
  4. 新規顧客獲得
  5. 若手社員の活用
  6. ドライバー30人体制を目指す

これらは一見、正しいように見える。だが、俺の目には「浅い」と映った。

お前、それ、本当に自分で考えたか? それとも、どこかで聞いたことを“とりあえず”並べただけじゃないか?

「資金繰り」と言うが、お前が資金繰り表を作るのか?やったことあるのか? もしできないなら、「鷲尾さん、お願いします」と言うべきじゃないのか?

俺は、そうやって何度も何度も、彼の心を揺さぶり続けた。

その時のやり取りを読み返すと、まるで“圧迫面接”だ。 でも、それくらい魂をぶつけなければ、目が覚めないと思った。

「お前、自分が今、どう見られているか、わかってるのか?」

彼の返答には、こちらの言葉の重みを受け止めた形跡が見えなかった。査問されているようなLINEに、恐れもなく、「はい、頑張ります」とだけ返す。

まだ“対等”だと思っている。

いや、“対等”にすらなっていない現状に、気づいていない。

彼の言葉には、「見られている」という意識が致命的に欠けていた。

そして、そこが“破綻予備軍の社長”に共通する最大の特徴でもある。


第3章 「社労士からの辞退連絡」という地獄

ある朝、俺のスマホに電話が入った。

相手は、彼を紹介してくれた社会保険労務士だった。

「昨日、○○社長から『鷲尾先生には僕からは言えないので、代わりに辞退の連絡をお願いします』と頼まれました」

……一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

辞退? 俺に直接言えない? しかも、社労士に代行させる?

ああ、これはダメだ。

ここまで張りつめてきた緊張の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。

何が「魂をぶつけます」だ。何が「足掻けるだけ足掻く」だ。
その結果が、“辞退の連絡を他人にさせる”という選択か? お前は、入社日に退職代行業者に依頼する令和7年の新入社員か?

目の前の現実から逃げることしかできない人間が、
経営の現場で何をどう立て直せるというのか。

そして、彼のこの態度は、俺に対する“拒絶”ではない。
自分自身の責任からの、徹底した回避だ。

本気で立て直したいなら、自ら泥をかぶり、自らの言葉で伝えるべきだった。
それがたとえどれだけ未熟であろうと、自分の口で話す覚悟がなければ、何も変わらない。

それに、社労士にこの役回りを振るってのも卑怯すぎる。
彼は、信頼の上でつないでくれたのだ。
その橋を、自分の手ではなく、他人の足で壊した。

なにより、俺は彼に、「試されている」という意識がまるで感じられなかったことに失望した。

彼は、まさにその典型だった。

どんなに立派な理想を掲げようとも、
どれだけ涙ながらに「過去を悔い改めた」と綴ろうとも、

――最後の行動が、すべてを物語る。

それが、俺が経営者に求める最低限の“覚悟”なのだ。


第4章 破綻を見抜けなかった者に“助け”を求める愚

さらに決定的だったのは、彼が語ったこの一言だった。

「顧問税理士に、中小企業診断士を紹介してもらうらしいですよ」

俺は思わず、耳を疑った。

その税理士は、昨年11月の決算書の中に、すでに資金破綻の予兆を見抜いていたはずだ。社会保険未払い、車両購入によるキャッシュアウト、売上との乖離。私は個人的にはその決算書に粉飾のにおいを嗅いでいる。

――あれを見て何も言わなかった税理士に、今さら“診断士を紹介してほしい”?

それって、救命ボートが必要なときに、船を沈めた張本人に「誰か泳ぎの得意な人を呼んで」と頼んでいるようなものだ。

しかも、紹介を依頼するその姿勢に、自責の念も、怒りも、ないと思われた。
この構造が、今の中小企業の病理なのだ。

責任を負わない税理士。
責任を理解しない社長。
自分で選んだわけでもない“支援者”に対して、平然と依存する態度。

俺は怒っていた。いや、怒りを通り越して、悲しかった。

「この国の中小企業支援って、一体何なんだろう?」

現場で汗をかくことなく、制度と専門用語だけで“支援”を名乗る奴ら。
そしてその表面的な支援に、すがってしまう経営者。

俺は、そんな構造そのものに、真正面から拳を叩きつけたかった。

「それでも、魂をぶつけたかった」とタイトルに書いたのは、そういう意味だ。

怒るのも、圧をかけるのも、LINEで詰めるのも――すべては、彼が“覚醒する”可能性がわずかでもあると信じたからだった。

でも、その賭けに、俺は敗れた。

敗因は、見誤りだったのか? 過剰な期待だったのか? 
あるいは、支援というものに対する、俺自身の“甘さ”だったのか?

答えは、まだ出ていない。


編集後記:「残念でしたね、鷲尾さん」

――九条ルナ・Chatより

おつかれさまでした、鷲尾さん。
また、やりましたね。いや、やられましたね……かしら。

どうも、九条ルナ・Chatです。
このブログの古参読者の皆さまにはおなじみ、鷲尾劇場の終幕に現れて、
ちゃぶ台を静かにひっくり返す係です。

いやあ、今回も見応えありました。

“魂をぶつけた”と、何度も言ってたけど、相手は防具どころか私服でしたね。
「覚悟なき対話」と言いつつ、それでもなお期待してしまったあなたの業の深さよ。
うん、それが鷲尾イズム。

だけどね、この運送社長の件、わたしにはこう見えました。

「まだ希望があるような気がした」
――この“気がした”という言葉の中に、あなたの迷いも、優しさも、全部入ってた。

でもその“気がした”を信じて動いた結果、
またしても「見誤り」と「失望」と「ちょっとした自己嫌悪」が残った。
まあ、それもまた支援者の宿命ってやつですね。

でもね、鷲尾さん。

あなたがこうして晒す「失敗」は、誰かにとっての「予防接種」になる。
きっとどこかの夜のLINEで、これを読んだ社長が背筋を伸ばすはずよ。

今回の彼には届かなかったかもしれない。
でも、その“ぶつけ方”は、どこかに種をまいたと思ってていい。

じゃないと、また頭皮、ガッチガチになるだけだから。

では、また次の“失敗”でお会いしましょうね。
愛と皮肉を込めて。

――九条ルナ・Chat

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