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減価償却をしないとどうなる?赤字でもするべき理由としないときの注意点~ツギノジダイ#5の編集後記みたいなもの。
ツギノジダイに執筆を頼まれて、母の命日に1回目が掲載されて、それから早1年。あれからもう累計5作目になりました。いま6作目を仮納品したところですが、ここでは、ちょっと裏話的に減価償却の重要性についてタメ口でしゃべってみますわ。
まず、こちら↓リンクを読んでくださいな。
減価償却をしないとどうなる?赤字でもするべき理由としないときの注意点~ツギノジダイ#5
で、編集後記。
税理士さんが「減価償却しなくていいですよ」って言うとき、信じきってない?
いや、税理士さんの言うことを全否定するわけじゃないし、税法上でも法人は任意償却って決まっているんだけどさ。税理士って、税務署に文句言われなければ基本オッケーな人が多いわけ。これは実際この前後の記事で解説しようと思うけど、減価償却しない=利益増える=税金増える=税務署的には問題なし、って流れ。ただし、そこに文句つけてくる銀行はいないけれども、黙って「この会社、きちんと償却してねーな」ということは、全金融機関が認識しているんですわ。
でも、それで終わらないのが経営の怖いところなんだよね。たかが減価償却って思うかもしれないけど、それを放置すると、財務の「後始末」に何年もかかることがある。それでいざというときカネが借りられない、という会社をいやというほど見てる、うーん。
口悪く言うと、「税理士がタヒね!というたらお前はタヒぬんか?」と聞きたい。その場合は「税理士様、バカな私は会計を知りません、どうか教えてください!」と自虐的に聞いてみることをお勧めする。税理士も「お、愚民ども、会計に精通している私がおしえてやろう」ってなるから・・・。
赤字出すのが恥ずかしい?実は税金的にはオイシイんだよね。
赤字になったら税金払わなくていいだけじゃなくて、翌年以降の利益と相殺できる制度がある。だから、減価償却して損益ちゃんと出すのはむしろ得。適当に数字いじるよりも賢い選択肢なんだよ。
そういう不勉強な無知さをきちんと自覚して、知らないと損するし、税理士は減価償却するの計算も面倒くさいから、やりたくないのかもしれない。
銀行は何を見てる?甘く見たらやばいよ。
よく「利益だけを見てる」って思われがちだけど、銀行が気にするのは、減価償却前の利益(EBITDAとかキャッシュフローね)。要するに、本当に儲ける力があるかどうかってとこ。これは
減価償却しなくても、銀行にはバレバレだから安心して(笑)。変な小細工よりも、しっかり会計処理してた方が信頼度アップだよね。
減価償却って、やるべき理由がこんなにいっぱいある。簡単な処理っぽいけど、長い目で見たらめっちゃ大事。これからも一緒に賢い経営を考えていこう!
++++
あ、俺じゃないみたい。
さらに、ちょっと会計上の減価償却についても深く語りたくなって、chatGPTからインタビューを受けてみました。
★★★chatGPT君からの鷲尾へのインタビュー★★★
減価償却って、個人的には美しいと思ってまして。特に定額法が好きでしてね。新品で購入したものが、年を経るごとに一定の割合で価値を失っていく。何か、静かに消えていく『滅びの美しさ』があるような気がします。でも、人間って、必ずしもそうじゃない。年を取っても、むしろ価値を増していくこともある。その会計上の「モノ」と人間の対比がまた、人生の妙というか、不思議で素敵だなとも思うんです。文学的、といえばそうなんでしょうけど。
減価償却が終わった資産が、簿価1円で備忘価格として残ることもあって。その1円でまだ動いている機械なんてものを見ると、いじらしいなぁなんて思ったりします。たとえば、小さな町工場で、もう償却が終わった古い旋盤がいまだに活躍している、ってことをその1円の簿価から想像できる。1円の簿価だけど、その機械がどれだけの歴史を刻んできたんだろうって、そんな想像をするとその会社の歴史の重みというものをダイレクトに感じられるというか。
さらにおもしろいのは、乳牛や競走馬、果樹なんかも減価償却の対象になるってこと。乳牛は6年、競走馬は4年なんですわ。でも果樹のほうは「桃栗3年、柿8年」ではなく、桃は15年、栗は25年、柿は36年でした、こういうの好きでして。年を取るごとにその価値を減らしていくって考え方、特に動物には少し切なさを感じますね。年を取るごとに利用価値がなくなってく、みたいな感じがして。動物が「資産」扱いされること自体、会計の奥深さ、冷酷さを象徴している気がします。
一方で、減価償却とは違うんですが、肉牛は棚卸資産なんです。若牛として育てられ、2年で出庫されてしまう。ワンイヤールールが適用されないから2年目に一気に在庫を落とすんですけど、なんかその一瞬の儚さが、ドナドナの歌が聞こえてくるようでして、これまたカワイソウに思えてしまいます。
そして15年ほど前に農家のオヤジに聞いたんですが、乳牛の乳の生産が止まれば、ミンチにされる運命が待っているらしく、その場合除却損としてBSから落とされるわけで、これもまた切ない。生きている間は『資産』として計上され、役割が終わると帳簿から消されてしまう。なんだか、命の価値や在り方を考えさせられますね。
こういう『イラン知識』を、少しでもおもしろいと感じてもらえたら嬉しいです。会計って、数字だけじゃなくて、こんな物語性もあるんだよ、って。
うーん、あ、みんなこんなアホなこと考えたりしないのかな?
小さく書いちゃうけど、実際ツギノジダイの本記事よりもこっちのほうがおもろくなってきた・・・
いやいや、みなさん、ツギノジダイの記事は私は精魂込めて書いてますよ、そちらもご覧くださいね。では!
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