伊和新聞令和4年2月5日号より~第2回の連載、編集後記、のようなもの。

オリンピックみたいな国際的なイベントよりも、このクソ寒い季節に北陸行脚の方に心惹かれる超ドメスティックな私でございます。

はい、第2回目の連載。伊和新聞さんも私のネタよりも優先すべき記事が多くて、1ヵ月ぶりぶりの掲載です。他の人もなんか書いてもらってる人もいて、このペースでいいんだろうか・・・なんて思ったりもしてますが、まあその辺はじっくり書いていけるのでいいのかな、と思います。

さて、まずはお読みください。

改めてこの記事読んでみますと、怒ってます、私。うん、書き方かなりキツイ。

こっから理由の1,2,3と掘り下げて書いていく、と私が言うてますので(このブログ書いてる時点で3の理由がまだ書けてなかったりするが・・・)今日は総論における編集後記なので愚痴というか怒りというかその辺の背景と言うか、つらつらと書ければいいかなと。

いやね、このコロナ融資だけど、文中にも書いたけど前例があって、それは2008年くらいのリーマンショック+2011年の東日本大震災にかかる緊急融資。

で、私現役の金融マン時代に、この2008年からの救済目的の融資、これを「セーフティネット融資」と言いますが、これを乱発したために、今でもその債務の重さに耐えきれず、結局リスケ(新聞記事中見てね)を10年以上も続けてきてまだ出口が見えない企業もいっぱいありました。

時と場合によっては、私も企業さんには場合によっては「金融機関からの借入は返さなくてええ!」とも申し上げるのですが、このリーマンと震災のセーフティーネット緊急融資や、それに伴うリスケは

「官製リスケ」

のような気がしてならないのです。

というのも、金融円滑化法というのが出来て、詳しくはリンク先を見ていただきたいのですが、この時に「リスケは容易くできる」雰囲気が出来てしまい、これまではリスケなんかしたら超人墓場行き、みたいな雰囲気があって、なかなか踏み切れなかったのですが、これが出来たのでイージーにリスケをしてしまい、そこから脱出できない企業(=儲けられない企業)がずーーーーーーーーーーっと返済しないまま残っているのです・・・。

で、このリスケ、なぜ私が超人墓場とか呼んでいる(正確には、いた)かと申しますと、

一旦リスケしたら、新しい融資は受けられない

と言うのが原則「だった」からです。語弊があるの分かってて言っちゃいますが、一旦約束した金銭消費貸借契約の履行を変更する、ということは、法治国家である日本の法理の原理原則を違えるというか、契約者の二者のうち一方のみが不利な契約に変更することを国家が半ば強制するという感じが、当時は私にはありました。ま、契約条項に載っていない「期限が来ていないけど早く返せ」と金融機関が言えないのに、「期限に返せないので期限を延ばしてほしい」とは言えるというなんとも不平等と言うかを感じたものでした。(さらにいうとこうした要請を債務者から受けた場合、金融機関がきちんと対応しているかどうかを「記録に残すこと」を強制されたため、仕事が増えた、というのもクソ腹立つ出来事でした)

いやいやこのリーマンにおける緊急融資や円滑化法を敷いたときでさえ、新たな融資は受けられませんでした。じゃ、今は出来るのか?いう問いに対しては、

今回のコロナ融資で、返済緩和をしていても新たな融資を受けられるようになった

というこのサイコーに債務者に甘い世の中になってしまった・・・というのが、この十数年の金融緩和における歴史であります。借りたもん得というか。

なんだかなあ・・・というのが私の正直な気持ち。

私の本音を言いますと、やっぱり経済回すうえでは「淘汰」も必要なのではないか、と、そうでなければまっとうな経済成長もできないのではないか、とそう思います。

生物学的な「淘汰」はそら、命もなくなりますが、経済的な「淘汰」はまたリスタートは出来るのではないか、と思います。

あ、もう夜遅いので眠くなってきたので今日はこの辺で終わりますが、このコロナこそ生物学的な淘汰で、それこそ死者も多数世界中で出ている中、お前はどう考えているんだ?ということを、鬼滅に絡めて次回お話しまーす。

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