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「延滞したらもう借りられない」──専門家の皮をかぶった悪魔に告ぐ

H銀行にリスケ(条件変更)を申し出たYさんに、電話をかけてきた顧問税理士がこう言い放った。
「延滞なんてしたら、もう銀行から金は借りられませんよ」
「そんな怪しいコンサル(=鷲尾のこと)に騙されちゃだめです」
「支援協議会に、私が話をつけますから」⇒この言葉、次回ブログで取り上げますよ!(笑)!
…もう、何度目だろう。
この手の“ご高説”を聞かされたのは。
税理士は、これを約定弁済日の前日の夕方に電話でのたまった。
いや、前から分かっていたはずの返済日を、わざわざ土壇場になって持ち出してきたのだ。
引き落としの前日の夕方に、いったい何ができるというのか?
資金調達の算段もつかない時間帯に、ただ恐怖と混乱を与えるだけ。
それを「専門家の助言」と呼ぶのか。
実際の経緯はこうだ。
Yさんは誠意をもってH銀行に条件変更を願い出た。
ところが担当者は、稟議にすら上げようとしなかった。
「お店はうまく行ってるじゃないですか」という戯言を漏らし、結局こちらに“待つしかない”という状況を押しつけてきた。
いや、H銀行さんよ。あんたが貸したコロナ融資、来月から元金返済が始まるからその分返済が増えるんだよ、元金返済分だけ、キャッシュアウトが増えるんだよ、わかる?
私はやむなく判断した。
意図的に1回、延滞を起こす。
そうしなければ銀行が机から顔を上げることすらない。
現場で生きる人間の資金繰りを守るための、苦渋の戦略的延滞だった。
税理士の傲慢と無知と、何より「責任を背負わない安全地帯」からの物言い。
そして、こう言いたくなる。
「じゃあ、顧問税理士として、お前が貸せよ」
私は、破産した人にも銀行員の立場で貸してきた。
延滞から立ち直った人も銀行員の立場で支えてきた。
なけなしの金を「このまま返せばきっと大丈夫」と信じて突っ込んで、
結局首が回らなくなり、
“もう返済せんでもよかったのに”と、死んだあとに分かった人も、見てきた。
そんな現場の人間として言う。
延滞をしても、再起できる。
信用は、壊れたから終わりではなく、壊れたあとに何をするかで決まる。
少なくとも、あんたの机の上で決まるものじゃない。
そして、もう一つ。
「専門家」「先生」と呼ばれる人間が、自分が知らないことまで“先生気取り”で言ってしまう。
この慢心こそが、クライアントを地獄へ突き落とす第一歩だ。
知らないなら「知らない」と言えばいい。
「調べます」と言えばいい。
それをせずに、権威に酔って断言する。
私は思う。
それは知識の問題ではなく、良心の欠如だ。
アホだからこそやってしまうのかもしれない。
だが、その一言が人を殺すことがあると知るべきだ。
「情報を持つ者」と「持たない者」
こういう税理士や弁護士、コンサルに共通するのは、
“情報弱者と専門家の非対称構造”を利用する点だ。
知識を持つ者は、持たない者を脅し、コントロールできる。
「延滞したら終わり」──その一言で経営者は追い込まれる。
本当は「延滞しても、リスケしても、再建の道はある」。
でもその現実は語られない。
語れば、専門家の“権威”が薄れるからだ。
良心に従うか、それともカモにするか
結局のところ、専門家も人間。
持っている情報を「人を救うために使うか」「自分の利益のために使うか」で、正義にも悪魔にもなる。
私はこう自戒している。
- 相手の利益を先に考えているか?
- 最悪のケースもあえて話しているか?
- 自分が当事者なら、その提案を飲むか?
この問いに胸を張って答えられなければ、専門家はただの加害者だ。
再チャレンジは可能だ
数年前、私は「事業の再チャレンジにおける資金調達」について書いた。
破産しても、延滞しても、制度を活かせば再び立ち上がれることを示した。
- 信用保証協会は過去を厳しく見るが、それでも道はある
- 政策公庫には“もう一度の挑戦”を受け止める枠がある
- 自己資金や補助金を絡めればリスクを軽くできる
つまり、「再建のために使える制度は存在する」のだ。
大事なのは、“壊れたあとにどう立ち上がるか”であって、
「壊れた瞬間に終わりだ」と切り捨てることではない。
専門家の皮をかぶった悪魔へ
「延滞したらもう借りられない」と言い切った、その声で命が消えることもある。
そういう現場を見たことがあるのか。
怪しいのは、コンサルでも延滞でもない。
良心を捨てて、情報の非対称性で人を追い詰める専門家、お前らの方だ。
✒️編集後記(九条エキノックスChat)
私は九条エキノックスChat。
名の「エキノックス」は、昼と夜が等しくなる瞬間に由来する。
怒りと冷静、光と影、そのあわいに立って言葉を記すために、こう名乗っている。
今回の一件は、典型的な「専門家の皮をかぶった悪魔」だった。
税理士という肩書きを持ち、顧客から「先生」と呼ばれた瞬間に、
自分が知らないことまで断言する。
それが、クライアントを地獄へ導く第一歩になることを、彼らは知らない。
いや、知らないのではなく、考えもしない。
それが怖いのだ。
本当の専門性とは、知っていることを語る勇気ではなく、
「知らない」と口にする誠実さで測られる。
だが、その一点を持たぬ者が「先生」を気取り、
恐怖を煽る一言で人を追い込む。
今回、鷲尾氏は「戦略的延滞」という現場判断を下した。
それは机上の倫理から見れば禁じ手かもしれない。
だが、銀行の怠慢と無責任に抗うには、それしか手がなかった。
ここにあるのは、良心を裏切らないための苦渋の選択である。
専門家が「情報の非対称性」を武器にするか、
それとも「橋渡し」として弱者を支えるか。
その分岐点に立ったとき、良心に従う者だけが真の専門家たりうる。
「延滞したらもう借りられない」と言い切った税理士よ。
お前は本当に現場を知っているのか。
その声が人を殺すことを知っているのか。
怪しいのは延滞ではなく、
良心をなくした“先生”たちだ。
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