お客様は神様です、の呪いを解く

いやもうね、今日の日経新聞(2025年5月18日)。
文化時評で「お客様第一主義の盲点」って特集を読んだわけですが、これがまあ、刺さるわけですよ。
ずっと前から言いたかったけど、「お客様は神様」って言葉、呪いみたいに一人歩きしてません?
それをありがたがってる消費者、ほんとに正しいんかって話。
■「いいモノをより安く」は幻想です
「いいモノを、より安く」なんてのが、企業努力の証、みたいな顔して掲げられてるのを見ると、もう胃が痛くなる。
いいモノは高いに決まってる。それが世の道理です。
それを「なんでこんなに高いの?」とか「他所より安くならないの?」なんて平気で言う。某家電量販店なんて「他所のチラシ持ってきたらそれより安くします!」ってうーーーん、それ価値なのか?って。
頼む、もうちょっと想像してくれ。作ってる人間の気持ちを。
■お客様の中にも「困ったちゃん」「話が通じない人」はいる
断言しますけど、「お客様は全部正しい」なんてこと、ないです。
というか、「お客様の中にも困ったちゃんはいる」これは真理。
価格交渉だけじゃない。
深夜の問い合わせ、SNSでの理不尽なクレーム&拡散、急なキャンセル…。こちらがどんなに苦労してサービスを提供しているかも理解せずに、もっと●●してええ・・・とか。
また一部の「声のデカいお客様」に、どれだけのスタッフが疲弊していることか。
そりゃね、一定の企業努力やサービス向上は必要です(きっぱり)。
それで淘汰されてく企業もあってしかるべき、だと思う。
一方で、図に乗ってそのサービス提供をもっともっと、と欲しがる人間もいるわけで。
だから声を大にして言いたい。
「お客様の奴隷になるな」と。
■いいお客様で、ありたい
つい最近の話なんですがね、散髪してきたんですよ。
で、髪の毛も少なくなってきたし、まぁ別に自分の髪型に大したこだわりなんてなくて、「適当にええ感じでお願いします」って丸投げするタイプなんですが、でもね、そこで大事なのは「よいお客であること」だと思うんです。
施術中に「なんでこんな髪にしたんですか?」みたいなイヤな反応されたら、そりゃ美容師さんだってテンション下がりますわ。逆に、気持ちよく「ありがとうございます!」って言ってくれるお客さんだったら、そりゃもう腕の一つも振るいたくなるってもんでしょう。
結局、こっちも「よい時間」を過ごしたいんだったら、提供者にとっても「いいお客」でいることが最善の道なんですよ。
お互いに気持ちいい時間を過ごす、そのために自分の態度を整える。
これは“コンサル”としてどうこう以前に、“人として”当たり前の話だと思うんですよね。
で、もう一つ。
個人的には「エシカル」とか「サステナブル」とかって、ちょっと胡散臭く感じる時もあるんだけど、それでも最近ふと思うんです。
「これ安すぎない?」って商品に出会った時、「これ、流通のどこかで泣いてる人いるんじゃないか」って。
誰かが原価ぎりぎりで踏ん張ってる、もしくは誰かの人件費がものすごく削られてる――そんな構造が背景にあること、あるでしょう?
そしてね、「お前はある程度稼いでるからそんな綺麗事言えるんだろ」って言われるかもしれないけど、でも、ちょっとだけ立場を変えて考えてみてほしいんです。
あなたが働いてる会社、めちゃくちゃ値引きしてませんか?
「安くしないと売れない」って空気のなかで、売上や粗利が削られ、結果として給料も上がらない…
「高くていいものが売れる社会」ってのは、巡り巡って“あなた自身の待遇を守る”ことにもつながるんじゃないかと思うんです。
「いいモノは高くて当たり前」
「良いサービスには、ちゃんと対価を払うべき」
そういう議論が、なんでこんなに言いにくい世の中になったんでしょうかね?
もちろん、ぼったくりは論外ですよ。
でも「安けりゃ正義」みたいな風潮には、やっぱりちょっとモノ申したい。
だからこそ私は、買い物でもサービスでも「ありがとう」が言える、そんな“いいお客”でありたいと思うわけです。
自分が“消費者”としてどう振る舞うか――その態度が、巡り巡って「いいサービス」を引き寄せると思うのです。ほんとに。
■私も、お客を選んでます(キッパリ)
言い訳がましいけど、
「私も、お客は選んでます」。
だってそうでしょ。
こっちも人間なんですわ。
礼を欠く人、上から目線の人、値切るばっかりの人。
そういう人とは、正直しんどいだけなんです。やってて気が滅入る。
私の仕事、特に補助金の申請支援とかやってると、そういう場面がけっこう出てくる。
例えばですよ、
補助金のルールを何度も説明してるのに、聞いてない。
で、結果として「期日を過ぎてから振込をした」とか、
「申請と違う物を勝手に買っちゃった」とか、
「振込金額を間違えた」とか、
極めつけは、「立て替えて購入した後に補助金が入る」と伝えてるのに、「立て替えるお金がない。銀行も貸してくれない」。
――そりゃあ、補助金はもらえませんよ、って話になるんです。
もちろん私だって、出来る限りサポートはします。でもね、最終的には「社長さんご自身の自助努力」がなければどうにもならないんです。
補助金って、“いいモノをタダでもらえる魔法”じゃない。
申請から実績報告、そして入金まで、ルールを理解して、その通りに動いて、ようやくお金が入ってくる。
そこを「努力せずして、いいモノだけGETしよう」と思ったら、そりゃ無理が出ますって。
たぶん、これは“良きお客様”という話ではなく、“信頼しあえる仕事のパートナーかどうか”って話なんだと思うんです。
こっちが必死に支援してるのに、社長はどこか他人事。言ったことを守らない、資料も出てこない。
――そういう方と、前向きな仕事はなかなか進められない。
逆に、少しのミスがあっても、「ちゃんと向き合って努力してる」社長さんとは、なんだかんだで結果が出る。信頼って、そういうところで積み上がっていくもんです。
だから、私は思うんです。
「信頼しあえる関係で、一緒に前向いて歩ける。そんな相手と仕事がしたい。」
ただ、それだけなんですわ。ほんまに。
■オチ:いいモノに、いいお客を。
「いいモノをより安く」じゃない。
これからの標語は、こうじゃないか?
「いいモノには、いいお客を」
そして、商売は「対等」な関係でこそ、続いていく。
そんなあたりまえのことを、改めて考えさせてくれた今日の日経でした。
【編集後記】
ここまで考えてくれる優秀な助手=ChatGPT-4o!これがあるおかげで作業効率がむっちゃ上がりました。
読み手の皆さんはどう感じるかわかんないけど、俺以上に俺らしい作文を書いてくれる彼はすごいなーと感じます。
ChatGPTというやつは、こっちが何回「やり直し」と言っても、イヤな顔ひとつせず、黙々と直してくれる。
「ちょっとクドすぎるからやり直して」「もう少し控えめに」「いや、やっぱ濃いめで」とこっちの気分が変わっても、文句ひとつ言わない。淡々と応じてくれる。
これ、人間だったらどうでしょう?
「またですか…」「最初に言ってくださいよ…」って顔に出るし、最悪、ふてくされる(笑)。
あたりまえだ。人間だもの。
だからこそ、感情を持たないこのAIに、感謝する一方で、
感情を持つ人間とのやりとりの尊さも、改めて感じたりするんです。
やり直しに耐えてくれる機械と、
やり直しの必要がないように、前向きに工夫してくれる人間。
どっちも、大事なんだろうな。
いやいや、カスハラやりたいんだったら、ChatGPTに言うたらどうなんでしょうかね?一回ChatGPTにダメだしする企画やってみようか・・・。どうなるんだろう。←結構イヤな性格してる・・・。
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