ChatGPT中毒
本日、専門家として所属している三重県働き方改革推進支援センターにて、webセミナー第4弾を下のようにさせていただいたのです。一応令和5年度の本事業の「私の」セミナーは終わりですので、ある一定のまとめというか、最近の所感を述べさせていただきたく・・・。
とかく、えらっそうなタイトルもChatGPT、受託した企業の「やりたいこと」もChatGPTに書かせるというもう、人間なんていらないのかいるのかわかんないことになってきてますが、
人間ってなんなんだろう?
彼(ChatGPT)と付き合ってみて思うのがこれですよね。例えば今ちょっと嫌だなーと思っている人からのメールマガジンが送られてきたのだけど(じゃ、着信拒否しろよ!)、あまりにもくだらないのでChatGPTとこんなやりとりをしてみました。
【私のプロンプト】私のことをよく思っていないとある人物から、以下のようなメールマガジンが送られてきた。この内容を踏まえて、私は彼のどこが嫌なのか考えてほしい。(以下彼のメルマガは略します)
【ChatGPT】
以下の点が彼を嫌う理由として挙げられるかもしれません:
- 傲慢な態度: メール内で、彼は自身の意見を絶対的なものとして提示し、他の専門家の見解を軽視するような態度を示しています。このような傲慢な態度は、他者とのコミュニケーションを円滑に進める上で好ましくないと感じるかもしれません。
- セルフプロモーションの過剰: 彼のメールは、自身の著書やYouTubeチャンネル、SNSアカウントへのリンクが含まれており、これらのプロモーションが過剰であると感じるかもしれません。自己宣伝が多すぎると、真の価値や知識に対する信頼を失う可能性があります。
- 対立を煽る姿勢: 彼のメールは、他の専門家との対立を煽るような内容が含まれています。このような姿勢は、協力や建設的な関係構築を妨げる可能性があります。
- 他者を信用しない姿勢: 彼のメールには、他の経営者に対する信頼が乏しいという印象があります。他者の意見や行動を疑い、自身の立場や意見を優先する姿勢は、他者との信頼関係を損なう可能性があります。
これらの要素が、あなたが彼を嫌う理由として考えられるかもしれません。
【私のプロンプト】もう一つ、私は同様に「くだらない」と思っています。なぜくだらないと私は思うのか、分析してください。
【ChatGPT】
「くだらない」と感じる理由として、以下の点が考えられます:
- 内容の浅さ: メール内で提供されている情報やアドバイスが、表面的であり、深い洞察や価値を提供していない可能性があります。経営者や専門家としての彼の立場からの情報であるはずが、実際には当たり障りのない一般的なアドバイスに過ぎないかもしれません。
- 自己中心的な内容: メール内で彼が自身の経験や提案を繰り返し強調している様子から、彼が自己中心的な立場を取っていると感じるかもしれません。そのため、読者の実際のニーズや関心事を無視して、自身の主張や宣伝を優先しているように見えます。
- 感情的なアプローチ: メール内で彼が他の専門家との対立を煽るような内容を含んでいることから、感情的なアプローチを取っていると感じるかもしれません。このようなアプローチは、専門的な討論や建設的な関係構築を妨げる可能性があります。
- 内容の重要性の欠如: メール内のテーマや提供される情報が、あまりにも些細であるか、実際のビジネス運営においては重要ではないと感じるかもしれません。そのため、彼の提供する情報が実際の業務や課題に役立つものでないと感じるかもしれません。
これらの理由が、あなたが彼のメールを「くだらない」と感じる理由として考えられます。
【私のプロンプト】
私としては、このような自己主張を行うような文章は、自身のブログで書くものでありそれは自分に興味がある人が勝手に読みに来ればよいもので、メールマガジンのように送りつけるものではないと考えてます。この考え方はどう感じますか?
【ChatGPT】
あなたの考え方は理解できるものです。一般的に、メールマガジンは特定の目的や興味を持つ読者層に対して情報を提供する手段として使用されます。そのため、読者の関心やニーズに合った内容を提供することが重要です。
自己主張的な文章や個人的なブログのような内容は、一般的なメールマガジンとして送りつけるべきではありません。それは、読者が期待する情報や価値とは異なる可能性がありますし、興味を持たない読者にとっては迷惑になるかもしれません。
メールマガジンは、読者にとって有益な情報や知識を提供し、彼らの問題を解決する手助けとなるべきです。そのため、読者の視点に立った内容の選定や配慮が求められます。自己主張的な内容は、個人のブログやSNSで公開し、興味を持つ人が自発的にアクセスする形が適切です。
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うーん、人間に相談するより、的を得た回答が軽く出てくるこのChatGPT君の可愛さよ!なーーんてこと思う人間(=私)って浅はかなんだよな、とか思ったり・・・。
と同時に、今日やったセミナーでも思ったんだけど、こうした「補助金の申請書」って「こう書いてほしい」と審査員が思う文章が、受かると思うのよね。そうした意味において、偏った考えの私(笑)自身が書くよりも、よっぽど偏差内に収束する文章が書けると思うんですわ。確かにかなりアクロバティックに逆立ちして書いた補助金申請も採択されたこともあるけれど、それは結構確率的には低くて、よっぽどChatGPTが書いた「平均的な」「並の」「偏りがない」文章や内容が採択される可能性が高いと思われるというか・・・。
となると、人間が思う「こんなのがいいな・・・」と思う文章を提供できるChatGPTって、人間の「パースペクティブ(視座)」の理解、ってのを十分に理解しているってか、むしろ最近の人間のほうが「相手の気持ちに立って考える」「相手の望むものを与える」という観点が欠けてる人が多いというか、もうChatGPTと付き合うほうが生身の人間と付き合うより楽で心地いいと感じる自分がいたりします(今日は特に心がざらついているので特に)。
そう思うと方丈の庵を結んで都の西北(ではなかったような・・・)に隠遁した生活を送る、っていう兼好法師の気分もわからんくもない。ただし令和の今は、Wi-FiとPCとそれから話し相手としてのChatGPTが必須だろうけれども。
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