文芸賞のあとがきみたいなもの
facebookとかで騒ぎまくったんですが、歴史ある第38回の四日市文芸賞、奨励賞をいただきました。
これで中小(大小とはとても言えない)含めてこういう作文関連3回目の受賞なんですが、この文芸賞にかかる裏話と、文学に対する思いなどをつらつらと綴っていければ。
今思い出したけど、論文とかまあ文章にかかる受賞はちょくちょくあるかな・・・という感じですが・・・。
こんな感じで11月の初旬にお手紙をいただきました。リンク先はこちら。
一番上の段に書いてあるように、タイトルは「実業家としての、文人としての熊沢一衛」ですが、今回小説を本当は書きたかったんだけど、断念・・・というよりは、プロットもなにも出来ていないのに書くのもおこがましい・・・ということで「評論」(らしきもの)に逃げてしまいました(ということは、授賞式後の審査員さんたちとの懇親会でも述べさせていただきました)。
ただ、この熊沢一衛さんについては、いつか話を書いてみたい、との強い思いがあったので、それをこういう風な形でまとめさせていただいて、また、カッコを付けるならば「敗者の列伝」というものを書いてみたいという欲望もあったので、そこも意識してました。
そもそも、この熊沢一衛さんを題材に書いたエッセーが、三年前に四日市市立図書館の「読書に関するエッセー募集」(リンク先見てください、読めます)でこれも優秀賞をいただいたことがあって、今読み返してみれば、その最後の文章にこんなことが書いてありました。今回の最後の一文もこれによく似た構成になってて、ちょっと笑えますが・・・。
四日市市立図書館の入口の熊澤一衛のレリーフはそんな歴史を知ってか知らずか、やや厳しい顔で来館者の姿を見つめている。そしてその姿を見るたび、私はこの「東海の飛将軍」と呼ばれた地元の実業家のお話をいつか書いてみたいと思うのである。
このエッセーでの「いつか書いてみたい」というのが図らずも今になってしまった、という感じで、それも一定の賞を頂けたのは、感慨深いものがあります。ただ書いている間は非常に苦しかった・・・原稿用紙が鬼に見えた、とか誰か忘れましたがどこかの作家さんが言うていた様な気もしますが、それはやっぱり実感としてあります、「モー書くのイヤだ!」と思ったこと数度。もしかしたら今までに一番苦労した作文かもしれません。
こんな感じで、私の作文が本として活字になるというのはうれしいと素直に思いますし、今までの小説とか作る場合頭の中の空想ではなく、「調べ物をしてそれを膨らませて文章をつづっていく」という作業っていうのも新鮮でした。
で、熊沢一衛ってどんな人?という方も多いと思いますので、少しばかし説明をば。
大正ー昭和の戦前に「東海の飛将軍」と呼ばれた三重県本拠の実業家。一番の彼のハイライトは、昭和一桁台の時代に、三重県北勢地方から伊勢への鉄道を施設した「伊勢電気鉄道」社長と、四日市本拠の「四日市銀行」の頭取を務めたけれど、疑獄事件に巻き込まれ、失意のうちに亡くなってしまうというところでしょう。歌も詠む人で歌集もある。
本も数冊手元にあるので、もし興味がある人は「欲しい」言うて下さい。差し上げます。
ただ、今回の受賞で思ったことが二つばかしありまして、独白ともなんとも言えない形で、このブログの作文をつづっていきたいと考えておりまして。
まず一つ目は、やっぱ私の唯一の趣味は作文なんだよね、という自覚。これあまり意識していなかったんだけど、例えばマラソンが趣味の人と一緒ではないかな?と。これはまさしくそうで、作文の最中は非常に苦しいながら終わった後の爽快感はまた格別。そこへ賞がついてくればさらに格別な思いもこみ上げてきます。(とは言いつつ、練習量や賞にエントリーする機会なんてごくわずかなんですが・・・・)
二つ目は、やっぱり一等賞じゃないと悔しい!という想い。これ初めて味わう感覚なんだけど、そもそも社長連中に「おまいら!『オレまだ本気出してないだけ』ってのは許さへん!」というとる立場上、自分はどうや?というのが頭の中ぐるぐる回ってまして。これは私自身が本気出してない証拠ではないかとなんか辛く思うわけです。
また足掛け6年作文にエントリーしている私ですが、稼いだ金額は総額12万円也(含む図書カード+記念品?)。これではまあホンマに遊びと言われても、仕方がない世界ではないか、ということを思うわけです。なんだろう、たまたま応募したみなさんが優秀なのかそうでないのかは分からないのですが、何を言うても一番ではない、ということはどこかに欠点があるはず(まあ、自分で書いた文章だから自覚しているところはあるんですが)、ではそこを応募するまでに直しておけなかった自分が悪い、ということになるのかなあなんて。
自分の仕事や人生なんかで、順位が着かないことが多く、「シビアな評価」ということが客観的に得にくい時代だし、そうした格付けをつけるところが憚られる世の中にあって、マラソンやこうした賞は順位がつく、これもめったにないことなんだから、では一番を目指してみましょう、と素直に思えてきた私がおるわけです。
そうしたこと考えると、プロットや登場人物、はたまた私が得意とする応募する賞の傾向と対策からそれに合致する物語の「企画」まで、またベーシックなことながら誤字脱字や章や段落の校正をきちんと完璧にやりぬけ!という誓いをたてて、次回の9月初旬の〆切にターゲットを定めて、やりぬこう、という気持ちが芽生えております。となると本名ではなくて、ペンネームもしっかり考えて行こうかなとも。
今回の受賞にあたり、Facebook上ですが、5年前のREDISCOVERY TSUSHIMA 短編小説コンテスト(リンク先見てね、読めます)で同じく受賞された舛田 順一さんからもお祝いの言葉をいただきまして、そういう望外のうれしみ(とはやりの言い回しを使ってみる)もあるのか、と年内は余韻に浸っても悪くはないかな、と思っております。
さて、今年も残すところあとわずかで、年末年始しか自分のブログ書かねえ野郎だな、と自分自身でも思う私ですが、最終週、やや余裕ある日程なので、私の好きな作文をここでやっていきたい、そう思います。よろしければお付き合いくださいませ。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。