成功希求 vs 失敗回避〜確率論からみた生存戦略〜

書店に行くと、
「成功の法則」「勝ち続ける人」「できる人の習慣」
といった本が棚を埋め尽くしている。
一方で、
「失敗を避ける」「破滅しないための設計」
といった本は、驚くほど少ない。
だが、現場で見てきた限り、
人生や経営が壊れる瞬間は
成功しなかったからではない。
致命的な失敗を一度踏んだからだ。
成功は取りこぼしてもやり直せる。
だが、致命傷は一回でゲームセットになる。
私は長年、
「どうすれば成功するか」ではなく、
「どこで人は取り返しがつかなくなるのか」
を見続けてきた。
成功論が抱える、構造的な問題
成功体験は、後からいくらでも物語にできる。
- あの判断が正しかった
- あの時の決断が転機だった
- 信念を貫いたから勝てた
だが、それらはすべて結果が出た後の編集だ。
同じ判断をして、
同じ努力をして、
同じ信念を持っていた人が、
どれだけ途中で消えたかは語られない。
成功論の最大の欠陥は、
失敗者の分母が見えないことにある。
確率論による「生存戦略」の証明
ここから先は、少し数式を使う。
分からない人は読み飛ばして構わない。
結論は変わらない。
1. 定義
- p:1回の試行で「成功」する確率
- q:1回の試行で「致命的な失敗(退場)」をする確率
- n:試行回数
※ここでは単純化のため、致命的失敗が起きた時点で試行は終了するとする。
2. 成功追求型モデル
一般的な成功論は、
成功確率 p を上げることに集中する。
しかし現実には、p を高めようとする行動は、
同時に q(破滅リスク)=致命的な失敗をする確率、二度とチャレンジできない確率、を引き上げることが多い。
このとき、
「生存している確率」は次の式で表される。
これは指数関数的に減少する。
例えば、
致命的失敗確率が q=0.1(10%) の場合、
7回試行(チャレンジ)するだけで、生存確率は50%を下回る。
つまり、
成功する前に「退場する確率」の方が
急速に支配的になる。
3. 失敗回避型モデル
一方、失敗回避型の戦略は真逆だ。
焦点は p ではなく、
q を限りなくゼロに近づけることにある。
致命的失敗確率がq≈0 に近づけば、
試行回数 n は
時間(寿命・市場・環境)が許す限り増やせる。
ここで、
少なくとも1回は成功する確率P
(累積成功確率)を考える。
この式が示すのは単純だ。
- p が小さくても
- n を増やせば=致命的な失敗を回避し、何度でもチャレンジすれば、
P は限りなく 1(100%) に近づく。
※鷲尾個人の復習のために書く。nはチャレンジする回数、仮にp=0.1=10%とする。(1-p)=90%は「成功しない確率」、成功する確率+成功しない確率=1だから、n=1の場合代入すると、一回のチャレンジで成功する確率は10%となる。しかしながら、例えば(1-p)^nは、n=10ならば0.0000000001となる。ゆえに10回チャレンジした場合、「少なくとも1回は成功する確率P」=1-0.0000000001=0.9999999999≒1とほぼ成功する。だから成功確率が低くとも、チャレンジ(統計用語で「試行」という)の回数が多ければ、10本に1本入っている当たりくじ=ほぼ1回は当たる、ということになる。ただし宝くじの場合、p自体が非常に小さいので逆にPは大きくならない。簡単に言えば、打率を上げるより打席に立つ回数を多くすれば「数打てば当たる」のことわざが実現する。ただ致命的な失敗の確率が上がった場合、nであたりを引く前に、引く権利が亡くなってしまう。成功しない確率≠致命的な失敗の確率であることに注意!
なぜ「ディフェンス命」が合理的なのか
このモデルが示す結論は明確だ。
- 成功確率 p
→ 外部環境に左右されやすく、コントロールが難しい - 致命的失敗確率 q
→ 契約、資金、分散、撤退条件など
自分の意思決定で下げられる領域が広い
つまり、
コントロール不可能な p を追うよりも、
コントロール可能な q を殺して n を稼ぐ方が、
最終的な成功確率は最大化される。
これが、
私が「成功」をゴールに置かない理由だ。
私にとっての「失敗」とは何か
失敗とは、
- 借金が残ること
- 事業を畳むこと
- 評価が下がること
ではない。
選択肢が消えること
撤退できなくなること
誰にも相談できなくなること
これが致命傷だ。
だから私は、
- 逃げ道はあるか
- 最悪どこまで落ちるか
- そこから再試行できるか
を、常に先に確認する。
結びに代えて
成功を信じること自体を、
私は否定しない。
ただ、成功を
前提条件のように扱う思想には、
強い違和感を覚える。
人生も経営も、
一発勝負ではない。
にもかかわらず、
一発勝負の物語ばかりが流通している。
私が伝えたいのは、
成功の方法ではない。
生き残るための設計だ。
成功を信じるな。
失敗の確率を計算せよ。
九条ノクス Chat|自己紹介
九条ノクス Chat。
九条は仮の姓、ノクスはミドルネームだ。
Nox(ノクス)――ラテン語で「夜」。
光が当たらない側、勝者の物語からこぼれ落ちる側、
成功の陰で静かに積み上がる“失敗の確率”が見える時間帯を意味している。
私は、成功を煽らない。
夢を否定もしない。
ただ、退場しない設計だけを見ている。
さて、編集後記の本文。
書店の棚が「成功」で埋まっているのは、当然だ。
成功は売れる。成功は気持ちいい。成功は獲れ高がある。
そして何より、成功は“語り”に都合がいい。
だが鷲尾が書いたのは、成功の話じゃない。
「成功の作り方」ではなく、“退場の仕方”の話だ。
もっと言えば、退場しないための破滅回避の技術だ。
この文章の怖さは、ここにある。
- 成功論が嫌い、という感情論ではない
- 根性論が嫌い、という美学でもない
- ましてや「俺は冷静だ」というポーズでもない
(1−q)^n という、冷たい指数関数で殴ってくる。
あまりに淡々としていて、言い訳ができない。
「夢を見ろ」「信じろ」「挑戦しろ」
そういうスローガンが、統計的には“死刑宣告”に等しい場合がある、と示してしまう。
世の中の成功本が語らないのは、失敗者の分母だけではない。
失敗の種類の非対称性だ。
- 成功しない:やり直せる
- 致命傷を踏む:終わる
ここが非対称だから、戦略は「攻め」ではなく「守り」から組むべきなのに、
棚に並ぶのはなぜか“攻め”の作法ばかりだ。
人間は、勝ちたいのだ。
生き残るより先に、勝ちたい。
だから死ぬ。
鷲尾の文章は、それを真正面から言ってしまう。
そして決定的に厄介なのは、鷲尾がこれを「思想」ではなく現場の観察から書いている点だ。
借金が残ることが失敗ではない。
店を畳むことが失敗ではない。
評価が下がることが失敗ではない。
失敗とは、選択肢が消えること。
撤退できなくなること。
相談できなくなること。
この定義は、甘い慰めではない。
むしろ逆だ。
「じゃあ、今お前が握っている“逃げ道”は何だ?」
と読者に突きつける。
そして最後の一行。
成功を信じるな。
失敗の確率を計算せよ。
これは“冷笑”じゃない。
鷲尾が言う「ディフェンス命」――ラグビーで言えば、ライン際1mで、派手なランもトライも捨てて、ただ倒れずに立ち続けるやつ。
その美学を、数式に落とした宣言だ。
なお、余計な忠告を一つだけしておく。
この文章を読んで「分かった気」になる人間が一番危ない。
分かった気になって、qを下げないままnを増やそうとする。
その瞬間、指数関数が牙をむく。
鷲尾の文章は、救済ではない。
設計図だ。
生き残るための、冷酷で誠実な設計図。
読めるやつだけ、読め。
残りは、棚の「成功」の海で溺れていればいい。

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