文豪を追って・・・

連休中いかがお過ごしでしょうか。私は例によって、たい焼きやら、コワーキングスペースやら、美容院(私が散髪してもらったわけではない)やら新聞やら、不動産やらでこの連休半日しかフリータイムはなかったような・・・強いて言えば今もフリータイムなんだけど、事情があってこれを某インターネットカフェで書いております(苦笑)。

ノマドワーカーを気取っているわけではないのですが、私の事務所は全て「居候」で家賃はタダのところがほとんどなのですが、ご主人が帰ってきた場合、またはご主人の仕事をしに部下の方が帰ってきた場合には遠慮する必要があって、またインターネットカフェの方が落ち着く場合も多いので、こうして書いたりしてます、これが仕事か?と言われれば「work」ではないのは明らかでしょうが・・・。

さて、世間様でコロナ禍と言えども、去年に引き続き2度目の自粛を強いられて、さすがに国民的にももう勘弁、という感じらししいですね。おとといお邪魔した社長さんは「鷲尾さん、この自粛、まじでこれ戦時中みたいな雰囲気ですね」と戦後生まれに関わらず、そんな気分になる今日この頃でありますので、それもあってか行楽地は結構にぎわっている模様。

となれば、私も、なんか

「連休らしいこと」

をしてみたくなり、「読書」を選択してみました。

いやいや、この読書にも伏線があり、三重県が誇る文豪江戸川乱歩を精読する必要に駆られ、確か小学生の時に学校の図書館から「怪人二十面相」とかの児童向けの本を読んだっけな?とか思いつつ、とはいえ、あまりにも重たいものは嫌だなというのもあり(といいながら、重たいものが自分の好みなのはこの後自覚した、後述します)、

とりあえず、

文豪誕生

を選んでみました。(江戸川乱歩先生については、後日詳細を書きます)

芥川龍之介、太宰治、織田作之助、坂口安吾、中島敦、江戸川乱歩、谷崎潤一郎の「デビュー作・出世作」アンソロジー、なんだけど、これハマってしまいまして・・・。

よくあることなんですが、一気に読んでしまいました。

でも学生時代ほぼ文庫本を揃えた太宰の処女作「列車」もなんだか違った読み方も出来るし、谷崎の「刺青」、乱歩先生の「二銭銅貨」は初読み、中島敦「山月記」は社会人になっても自戒のために読むことはありました。

連休でもあり、これらの7名の文豪(?というには漱石も鴎外も入っていないのでどうなのかな?と思いますが、そこはほら、大人の解釈で)のこの本に収録された作品について、私なりの順位を付けてみようかと、そんなことを思っております。これらの作家ファンには叱られそうなことも言うかもしれませんが、そこもご愛敬で・・・。

さて、早速はじめます。

第7位 坂口安吾『木枯の酒倉から』(1931年)
安吾は、確か大学受験に失敗した私は、予備校で初めて意識した覚えがある。インド哲学を極めるために東洋大学のインド哲学課に行った、太宰、織田作と並んでいわゆる「無頼派」(ここは受験に出る!)と言われる作家群であることを。とはいえ、堕落論とかそういう有名作の方の攻撃性は◎だっただけに、処女作はおとなしめの印象で・・・うーん今一つだったかなあ・・・

第6位 芥川龍之介「老人」「鼻」(1916年)
「鼻」は教科書に出てくるかもしれない、他にも「羅生門」「蜘蛛の糸」など有名な作品は数々あれど・・・どうも私には仏教感に根差した「これから何かを読み取るべし!」みたいなもんが、なんとなーくですが鼻についた・・・。「老人」もまたしかりで、老いてもなお盛んな人物を描くが、短編でまとめるとなると、あまり成功しているとは思えないのは私の読解力のなさなのか・・・ただもう発表されてから100年以上たっていること、文豪でありながらも処女作ということで割り引いて考えるべきなのか、悩ましい・・・

第5位 江戸川乱歩「二銭銅貨」(1931年)
うーん、芥川より上にしてしまったのは、これが日本初のオリジナル「推理小説」である、ということの新規性と地元の作家ということに私がポイントをあげてしまっただけで、やはり現代の推理作家さんの緻密なストーリー構成やプロットなどと比較すると稚拙な感じがするのは否めない・・・。もうひとつ「人間椅子」も図書館から借りてきているのでその変態的な描写を期待してのこの順位ということで。ええと乱歩さんについてはまた別項で!

第4位 中島敦「山月記」(1942年)
中島敦さんは薄幸の作家、というイメージが私の中にあり、若くして死んだということも含め、漢学に精通した病弱なインテリというイメージがありまして、ほら、教科書に載ってたあの丸メガネの写真がどうしても頭から離れず・・・。とはいえ、この山月記、改めて読みなおしてみると、中国の古い逸話に着想を得たとはいえ、プロットもうまいし話の持って行き方もうまい。さらには「現代の日本人の癖に」漢文での歌もフィクションで作って作中にブッコむというところが、もう嫉妬しかない・・・といういや、お前そんなこと言える立場かよ!と自分ツッコミ・・・。ただこの本で、そんな薄幸な中島さんも結構女性とは浮名を流したようなことも書いてあって面白かったです。

第3位 太宰治「列車」(1936年)
なんで、若いころ太宰にハマったんだろうか・・・とか考えながら読み直してみた「列車」。確かに繊細な筆致で「魂は細部に宿る」というのを具現化している文章で、で、人間のいやらしいというか汚い部分の心理が描かれていて、こういうのやっぱ「美しい」と思う。退廃的な私生活を送りながらも、文章には真摯に向き合ってる様子はやはり、いいなあとか思う。他にも太宰のことは言いたいこともあるけれど、個人的にはあのマジで薬物中毒になりながら書いた昭和13年くらいの作品群が胸が痛くなり、好きだ。一方改めてこのお人、人にたいがい迷惑をかけながらも、それでいて生きていたいというそんな矛盾を抱えながら生きている、というのも人間らしくて好きだったなあ・・・。てかまた読み直してみよーっと。3位というのは本当は1位をあげたいんだけど、この本に収録された小説で比べると!という意味です。はい。アイキャッチ画像も太宰にしてみました。

第2位 織田作之助「雨」(1938年)
織田作。「夫婦善哉」くらいしか読んだことなかったけど、この処女作、母と息子の人生2代が大阪弁で描かれていて、そのなんてことはない人生にスポットライトを当てる、という所作が何とも言えず、好ましく読めた。これは「夫婦善哉」にも言えることなんだけど、大正~昭和初期の大阪の市井の人の生き様や雰囲気がありありと見えてくるのがすごいというか・・・。「上本町から千日前まで坂道を降りて・・・」とかいう描写も、そうそう、下り坂になってるよな、とかそういうのも親近感を持てて。
 特に、自分が年を取ったせいか、時の流れの残酷さをさまざまと見せつけられるお話は胸アツになりすぎて辛いことも多くなってきたんだけど、彼がこのような時間軸のはかなさを、若干25歳でさらっと書き上げ、爽快な読後感を私に与えたことには脱帽の一言しかない。

第1位 谷崎潤一郎「刺青」(1909年)
日本の文豪大谷崎。うーーーん、参りました。超自分勝手なサディスティックな彫り師が、自分の彫りたい刺青を5年も頭に思い描いていて、それを具現化する女に会って、その女を睡眠薬で眠らせているうちに刺青し、目覚めたのちの交情を交わしていく過程や、「痛み」というネガティブな感覚をエロティカルまで昇華させてしまうという、もうやはり文豪ですわ、で、この作品をじっくり読んだのが生まれて半世紀もたつ今という私の無知を恥じております。
そもそも「刺青」というものを、もし自分が「お話」「小説まがいのもの」を書けるとするならば、どうにかしてぶち込んでみたい、という欲望が私にはあります。「痛い」という苦難を乗り越えて、自分の身体を傷つけながらも一生消えない絵柄を書くというその「自我」というものもトコトン想像して書いてみたいと思っております(あ、宣言しちゃった!)
が、もう負けました、はい、読む前から負けております。この表現には・・・。
この作品に出てくる女は、当然受け身ではあったものの、それを自分のものととして取り入れ、最終的には彫り師さえ上回る何かを発するところで終わるんですが、いや、こういう主客逆転の構成もいいです・・・。

というわけで、今回の読書、大谷崎を十分に味わわせてもらいまして、やっぱり、ビジネス書より小説のほうが私は好きだなーとかそう思うのでありました。

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