文章をつづることとは

4-5年前に、中小企業診断士の受験ブログ、受験時代お世話になったこともあって恩返しということで、1週間に一発、2つのブログ掛け持ちして書いてた。だから書くこと自体は何の苦痛もないのだけれども、なぜかこのような自分専用のブログを書けるようになったくせに、そうなるとなんだかスイッチが入らなくていけない。

このサイトを作ってくださったKさんからも「わしおさん、書かんとあきませんよ!」とか言われたり、金融機関や商工会議所のえらいさんらも「読んでますよ!」といわれることあって、もう本当に恥ずかしいというか、怠惰な自分は何だろう?とか思ったりしてまして。

中小企業診断士としては、AIDMAのAでこのブログで情報を継続的に発信し、「どんなおっさんなんやろ」というIで、興味をもってもらい・・・というところをえらっそうに社長さんにも言うくせに、自分は出来てない、という恥と、

タイトルの通り、自分自身文章を紡ぐこと、文章を読むことはそれはそれは全く嫌いではないという自分自身を、昨日地元ゆかりの作家で母校の1個上の先輩でもある伊吹有喜さんの、母校を舞台として書かれた「犬がいた季節」を一気読みして自覚した自分の愚かさについても自覚したというか。

(文芸的な)文章を紡いだり、読んだりすること、もともと好きな自分ではないか、これが不足しているのをはっきり自覚しました。

(こういうのも四日市で作っていて、なんとも郷土愛を感じさせます。もし興味持ってもらった方はここでDL出来ます。)

上記散策マップは単行本の表紙と一緒のイラストです。今気が付いたんですが、このイラストはグラウンドの南東の角から見た四日市高校の構図そのものです。近鉄で名古屋行くときにはよく見てるから、変わらないなーといつも思います。

イラストに描かれた男子が着ている「詰襟の学生服」時代、自分何を思っていたんだろう?とかついつい考えてしまったりして・・・。ちなみに当時の女子のブレザーは真っ黒で、葬式服と呼ばれていたことを思い出しました。

こうした文章で、私という人間を知ってもらうのもいいか、と思い、ちょっと「そのころ」を書いてみます。

この物語の第1章と同じ昭和63年~平成元年3月、彼らと同じ高校三年生だった僕は、文学部志望でした。今の私を知る人には想像もつかないと思いますが、古典とかを読むのが大好きな珍しい男子で、大学に受かった暁には、ひなが一日研究室にこもって古文書とか読めるといいな、とか、文章を読むだけで1000年も時間がすっ飛んでしまうことに非常に興味を持っていました。

今日2021年1月17日は、いみじくも共通テストの第2日目でありますが、家庭の事情もあり、うちの家計では私立、ましてや東京なんてとんでもない!ということで、この物語に出てくる「家から通える名門国公立」を僕は目指してます。(結果的に1年余分に勉強して、希望通り、井の中の蛙&ノーベル賞によるインフレ大学出身です、と自称することになるのですが)

物語の中では、地方都市にいる18歳が東京に出るのか、地元に残るのか、の葛藤が描かれています。著者の伊吹さんも主人公の塩見さんのような葛藤があったのでしょうか?東京の大学(かなり西の方ですが)に進学しています。一方私は上記の事情もあり、また名古屋という街もなんとなく好きでもあり、こんな近くに大都会があるのだからそこで学べばいいじゃん、とか思ってしまってます。そこは、彼女の家庭のように、親の低学歴からの劣等感からの期待、というのもプラスに働いてたのかな?と思います。

彼らと同じく志望校に対する模試判定はBやC判定で、毎日不安な日々を過ごしてます。毎日14時間勉強することもありました。作中の早瀬君みたいに夜遅くまで名古屋の塾にも少ない家計からギリギリ通わせてもらいました。彼みたく、塾からの自転車の帰り道、好きな女の子の家の前を通ることもなければ、さらにそこの窓が開いて彼女からラブレター紙飛行機なんて飛んでくることなんて全くない、勉強漬けの1年だった気がします。

天皇崩御で世間様がバタバタしている中、最後の共通一次試験が1月第2週の土日に始まります。意気揚々として三重大学に受けに行きます。出来はまあまあだったと思います。次の日に自己採点で8割強のだったので、よーし文学部や!と思うのですが、ここで悪魔の大どんでん返し(あ、これも高校時代に流行ったとんねるずの「ねるとん紅鯨団」のお決まりのセリフですね)が待ってます。

今回の試験作成者がおバカだったのか、社会科の世界史の平均点が確か20点くらい、理科の物理、生物も同じような平均点で、科目間の格差が大きすぎる!ということで、前代未聞の科目間調整のかさ上げが行われたのです。曰く、世界史、物理、生物の点数を一律40~50点プラスするとのことなのです。

当時は、国語・数学・英語・理科・社会の5教科5科目。前の3つは共通ですが、後ろ2つは、理科は、生物・物理・化学・地学から、社会は、現代社会・日本史・世界史・地理・倫理社会から1つづつ選ぶ方式になってまして、私は全くかさ上げにかからない、化学、日本史を選択していたのです。

細かいことは省きますが、文系は大体理科は生物を選ぶのが普通でした。また文学部志望ともなれば世界史選択っていうのもざらにいるでしょう・・・余裕でボーダーラインを超えていたのに、このかさ上げにより2次試験で一発満塁逆転ホームラン、とまではいかないものの、逆転ヒットくらいは打たねばならない程度になってしまいました。

案の定、落ちました。

ここで悟りました。

人生、努力が報われないこともある

その後の人生の方が長くなってしまったんで、努力することが尊いことも十分理解しているつもりですが、もうここからなんだかタガが外れたような・・・。意に沿わぬ私大へ行くよりも、予備校の方が安かろう(確かかなり安く入れてもらえたような)から免許取らせろ、バイトさせろ、恋愛、失恋・・・10月頃の模試の結果は最悪でした。もう文学部なんか言うとるどころではない、そんなやくざな学問やめとけ、という学のない両親が言うものの、それどころか入れてもらえる大学はあるんやろか?もう俺も2浪かな・・・とか思ってたんです。

が、12月頃からエンジンがかかり始め、共通一次じゃない、第1回目のセンター試験もそこそこ点数取れた。あ、そうだ今思い出した、文学部確か4人受けて僕だけ落ちたから、若いうちの変なプライドで文学部には行きたくなくて、確実に受かりそうな教育学部にしたんだっけ・・・。

時間軸って、過去から未来へ流れるだけなので、過去の自分に未来がどうなるか伝えることはできない。けど、もし伝えることができるのであれば、お前の人生はそんなに悪いもんでもないぞよ。思い描いた「とおりの」自己像ではないけれど、第一志望校は母校になったし、そこそこ楽しい学生生活が送れるぞ、ただ、人生は大学合格がゴールじゃないから、就職はよく考えろ・・・いや今となってはそれもどうでもいいぞ、失敗しても致命傷にならねばそれでよし。大いに人生長く悩め! なんてったって、

人生、努力が報われないこともある

から。たまには休んで、本でも読んで、時の流れに身を任せるのも必要。

昨日思ったのがここまで。

今日考えたこと。未来の自分も、現在の自分にこんな風に言うんだろうか・・・。

独立して1年半たったけど、思い描いた「とおりの」自己像ではないけれど、上手くやってるよ。だからいまアセアセしてるのは分かるけど、19歳で悟ったお前が、120%の努力を継続してやる必要はないんだ・・・。と。自分の現在の願望ではあるのですが、そう65歳くらいの僕が現れて言ってくれないかな?と。

この伊吹さんの物語は、昭和63年のお互いに通じなかった男女が、令和元年になって再び巡り合う輪廻になっているんだけど、この30年余りの時間軸で考えれば、そんな時なんて一瞬で超えちゃうんだよね。それも思い返せばそれだけのことだけど、未来の30年はここの主人公も言うてるけど、真っ白でむしろ「怖い」。

いやいや、そこではなくて文学って、文章をつづるって、こうして僕でさえ一気に30年を飛び越えてしまえるところがすごいと改めて思える。昨日のようにありありと伝えることもできる。

ここまで約1時間。この間のたゆたう感じがたまらなくいいし、文をつづることが好きな自分はいつでも変わらない。

やっぱり、今年はこういう好きなことをちょっと多い目にしよう。またちょっとした文芸的な賞を狙いに行くのもいいかもしれない、書きたいことはいくらでも出てくるさ。

あ、これ読んでる人、きちんと仕事はしますので、ご心配なく。ただちょっとだけスピード落ちるかもしれないことはご容赦を!

追伸

伊吹さんの物語で、鷲尾君が出てくるのは、恥ずかしい・・・。

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