1000円の投げ銭が教えてくれたこと ~北野天満宮と猿まわしの件~

猿と芸人に1000円。娘の将来に祈りを。人生の意味に思いを。大人の本気は、こういう瞬間に宿る。
今年のゴールデンウィーク、家族で久しぶりに小旅行に出かけた。目的は京都・北野天満宮。娘の国家資格試験の合格祈願だ。「家族には興味がない」と特に下の娘に言われるのであるが、それは否定できないかも、と思うことがある。ま、そんなことでその罪滅ぼしもあり、すべてお父様が持つということで、遠慮なく京都の西京焼やらおいしいモノなどをたかられまくった一日であった、まあ、天気もよかったし。
ただ最初の目的地、北野天満宮の境内にたどり着く前に、思わぬ「寄り道」があった。
通りに、猿まわしの大道芸人がいたのである。
私はどちらかというと、こういう寄り道には否定的な性格だ。目的地へ一直線が信条。いやそれは仕事モードの話をこういうプライベートでも持ち出すから家族に嫌われる。今日はオフなのだから、その仕事モードは切ろう、とか言いながら行きかえりのバス・電車ではメールをシコシコと打っていた私であるが。
妻や子どもたちは、こうしたもの、特に動物が大好きで、あっという間に足を止めていた、もう成人したというのに中身は子供。やれやれ……と思いつつ、仕方なく私も観る羽目に。
すくっと後ろに手を組み、威張ったように起立しているおさるさんは、まあほほえましいモノだった。こういう時に「動物虐待」とかの単語が脳裏に浮かぶんだけど、そういうところもなんだか反省した、まあいいじゃないか、これでおさるさんも生命の安寧は保たれるわけだし、人間だって多くの人が会社に仕事に縛られて生きているではないか、そう、この私も(笑)。それを楽しんでやれるかどうかは置いておいて、何かの「枷」がないと生きられないのかもしれない、哺乳類全般に。
そんなことをちらりと脳裏に浮かべながらも、気がつけば、演者と猿のやりとりにどんどん引き込まれていた。
芸人さんの汗、猿の必死なジャンプ、観客とのやりとり。特にジャンプ台を演者がセットしたのをはたき倒すのは「ネタではないです!」と言いながらも、それも一つかな、と苦笑いしてみてた。
サルでも一生懸命にやってる姿に心が動かされた。
そして終演後、私は迷うことなく財布から1000円札を出して、投げ銭の箱に入れていた。
あの頃の自分と、あのSpotlight記事
そんな瞬間、ふと昔書いたブログ記事を思い出した。
これは、私がペンネームで連載していた頃に書いたものだ。あの頃は週に1本、絶対に書くという約束があったからこそ、日々の景色の中からテーマを探し、文章にしていた。
そして今回は、まさにそれを体感した。あの横浜での屈辱をいつか晴らしてやろうと思っていたところ、図らずも「喜んで1000円を払える瞬間」に出会ったのだ。
お金という行為、価値のやりとり
もうひとつ、思い出した記事がある。
ココで出てくる娘は上の娘だけど、5年前にはコロナで自宅待機なんてあって、その時の光景が書いてありますが、もうその娘も21かぁ、こうしてブログを心置きなく書けてるのもありがたいことでございます。
お金って、実は「価値の評価」そのものだと思う。今の私の仕事、中小企業診断士としての活動もそう。自分が提供するサービスの価値を、どう評価してもらうか。価格は売り手が決めるのか、買い手が決めるのか。
そうそう自分のことではなく、やはりクライアントにおいて、今やはり価格交渉が緊急の課題になっている会社も多いのだが、その「値上げ」というのがまさに「買い手」の一方的な主導権になっている場合が多いのよね。だからこっちも「買い手」として、彼らの努力?に値段をつけてみた。
感じたままを投げ銭で示す。
だからこそ、私は迷わず1000円を入れた。それが当然であろう、旅先でこういう楽しいひと時はプライスレスであり、5年前のブログにも書いたが投げ銭というのは「瞬間の感動量」を表現できる手段でもあって、そこを芸人さんは「やりがい」として意識するんだろうから。
ただ、芸人さんは「折りたためるくらいの投げ銭を!」と婉曲に表現していた、それにつられてお金を入れる人もいるだろう。一方で芸人さんも言うてたけど宴が終わるとさっさと帰る人もいるらしい。でもさ、その「買い手」のリテラシーというか倫理観というか、そういうのをやっぱこの歳になって尊重したいなーと「自然に」思えるようになったのは大人になったのかな、と。
もちろん、売り手が「売らんかな」の商売をして来たら別。その辺の売り手、買い手の互いの尊重っていうのが大事であって、この投げ銭方式、「任せてもらえる」ことで、受け手は信頼と誠意を持って返す。そんな経済のやりとりが、私は大事だと思う。
娘の未来と、自分の背中
今回の旅の目的は、娘の合格祈願だった。
でも、猿まわしの芸と、その投げ銭の瞬間が、私の心にも火を灯してくれた。
努力している娘に、言葉で何かを言うよりも、
必死で働く猿と芸人を見て、黙って1000円を出す父親の背中を見せること。
それが一番のメッセージになったかもしれない。
(この最後の段落、ChatGPT君が書いたのでこんな風になってますが、恥ずかしすぎるから、このまま載せておきます。ちな、娘は当然のように父から1000円をひったくって、猿と写真を撮っとりました)
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