課題抽出の重要性とか色々。

どうもです。本当はね、この記事月曜日から用意してたんだけど、この前の記事についての怒りが大きすぎて、かなり書きなぐってしまった。またこの文章に載せたいことも色々出てきて、文章の構成はどうしよう?とか考えずに書きますので、読みにくかったらごめんなさいです。

連続して今仕事は来ていて、それでかつ自分が「こーゆーのしたかったのよぉ」という内容が多くて充実していて、こういう仕事しながらいつ死んでもいいとか思いながら仕事しているんですが(笑)、最近気になることがありまして。

うん、最近まあうれしいことに、お弟子さんみたいな人々がゆるーく慕ってくれてるのありまして。個人的には師匠ー弟子みたいな関係性はあまり好きではなく、もちろん人生の中で師匠と呼ばせていただいた人もいないわけではないのですが、そもそも「●●道」みたいなのが好きではないですし、カチッとした組織などに属するのは苦手なところもありまして、で、あ、そうそう、本題に戻りますと・・・。

そのお弟子さんらしき人々が、「中小企業診断士になりたい」とか、「補助金申請をうまく書けるようになりたい」とか、そのた私のところへきて、相談を受けたり、仕事やらを持ち帰ってもらったりして、私はやむなく先生の真似事なんぞしているんですが。まあこの先生という呼ばれ方もちょっとイヤなわけでありまして、あくまで「同志」(今は亡きソ連CCCPみたいな言い方だな・・・)としての相談やら仕事の回し合いやらをしている気持ちでいるわけですわ。

で、その中で「仕事とのバランスをどうとっていけばわかりません」とか「副業としてどの程度力を入れればいいでしょうか?」とか、そんなことを言うてくるヤカラがおったりする。うーん、これどうなんだろう?逃げ場を作ってるだけではないのか?とかの想いを払しょくできない。

で、私が「いやそんなもん『すべて』を『タヒぬ気でやれや!』」と言うと

「ボクは弱い人間なので出来ません、これ以上言われると「ウ〃ノ」になってしまいます」

「・・・」

という感じで、上記書いたら、今日の朝方というか午前2時にメールがあった。曰く「不眠症で精神病院に通ってます」・・・先言えや!

自営業はね(とは限らない、誰でもだけど)、

なんかね、この赤字で書いた部分、弱者は免罪符のように使う。曰く病院行ってました、もうだめです。まあ、いいけどさ。俺だって好き好んでマッチョな指導しているわけでもない。もし精神的に本当の意味での疾患があるのであれば、そこは人間だから配慮もする、それもなしに突然言われてもねえ。

何なんだろう、この違和感は・・・と思う。そもそもあんたらがやりたい、成したい、と言うてるからわたしゃその機会を提供してあげているわけで、そこでタヒぬ気の努力をしないと、大谷翔平だって、Mrs. GREEN APPLEだって、FRUITS ZIPPERだって、石破総理だって、トランプ大統領だって努力を相応にしているだろう。(PVを見ている限りFRUITS ZIPPERは世の中舐めちぎってる感じもするが、いやTikTokで大きくバズったところを見れば、相当努力はしているだろう(笑))

そういう例を出すと、こういう声が聞こえる気がする。

「あなたは強者でマッチョだからそうした努力も難なく出来るでしょうが、我々弱者にはそんなすごい努力なんて出来ないですよ、こんな就職氷河期や、大震災やコロナ禍に生まれた我々にお情けをかけてくださいよ、いや強者が弱者にお情けをかけるのは当然じゃないですか!」

私は自分が強者だとも思えないが、これを「弱者の傲慢」とこっそり呼んでいる。自分が弱いから世間の強い人々は情けをかけるべき、と。ことわざでも「情けは人の為ならず(まわりまわって自分に返ってくるから)」というじゃないか、と。

じゃ、弱い人間ならそんな努力辞めておけ、もっと楽な世界で生きてくれよー、と思う。てか生きてんじゃん、もうすでに。就職氷河期や、大震災やコロナ禍を超えて今生きてるだけあんた偉いじゃん、これ以上努力する必要ないんじゃない?とか思っちゃうんだよね。私に「あんた努力したほうがいいよ」なんて言いたくもないセリフ言わせないでよ、俺上述のように先生と呼ばれるのも嫌いだし、あなたにとって優しいお師匠さんもこの世の中にはいるんじゃね?と。

えっとね、今のこのぬるい日本では人はなんとなーくでも生きていけるのよ。でもさ、それって世界的に見ればかなり幸せなことで、ウクライナやガザ地区の人に比べれば、とりあえずは生死の心配はしなくても生きていけるありがたさは理解しなさいよ、ということですわ。
でもさ、人生や生きざまに満足してないんだったら、その分努力しなさいよ、私がこの数年間自分でGETしたノウハウを無償で、もしくは金払って仕事として教えてるんだから、その辺自覚しなさいよー!って。

まあ、そんな愚痴、というても前職時代の世界の不満に比べればわずかなものですので、またそうした不満もこうして誰に対しても気兼ねなくぶちまけることが出来ることは、本当に幸せなことだと思っております。

さて。そろそろタイトルに戻らんととか思っているんですが、大丈夫かな?

中小企業診断士2次試験でよく言われるんですが
「課題」とは何か?
ていうのが、昨日からあたまぐるぐる回ってまして。

補助金申請に関しても、企業の戦略に関しても、はたまたご自身の人生に置かれましても、この

「課題」

というやつを設定する必要があるのではないかと。当然経営計画を作るにあたっても、課題の抽出は大事だと思います。

そうそ、ゴール・目標の設定なのよね、課題って。ただそのゴールはただの中間チェックポイントであって、その先にまだまだ先があるのよねん。手前味噌で済まんけど、こんな感じ。

で、まあ世間様に対する憤りや言いたいことはこの辺にして、

何か言いたいかと言いますと、

じゃ、お前(鷲尾)は課題を設定してきちんと人生生きているのか?努力しているのか?という内なる刃に対する回答を、自分の退路を断つ、という意味においてもここで宣言しておいた方がいいのではないか、というまあ、なんて自分に厳しい私なんでしょう、と我ながら真面目過ぎてイヤになることを宣言するわけですわ。

うん、その後進の方々に「全力でやれ!」と言うておきながら、言う自分は棚上げしているシャチョ―さんも結構いるので、俺は違う!お前らもこうせんかい!という以上、自分でもせなあかんと思いまして。

二つ宣言したいと思っておりました。

1.ブログを定期的に書く(おおむね1週間に1本以上)

2.4月末〆切の文学賞に応募する

1.については、もう先ほど勢いに任せて1本あげちゃったし、2.についても3月にも、とある論文に応募している(落選したら掲載します)んだけど、大事なことは

ことではないかと。とある社長さんが言うてたけど、好きなことでも最初に「やろう!」というスタートボタンを押すのはしんどい、と。そのエンジンのイグニッションを回す行動のハードルを低くすればあとは惰性、と言ってはあかんんけど、続けることは可能。でもそれをやり続けることは結構困難なんだよね、だから、「スタートをする」ことをハードル低くするのをやっていかんとなーと。

もともと、どっかにも書いたかもしれんけど「ムラっ気」がある私なので、定期的に同じモチベーションでもって続けていく、というのはしんどい人間なのです、50年付き合ってきてよくわかります。だからこの仕事、いろんな社長さんたちにお会いしたりして、それ自体が気晴らしになっているというか、そういうこと、が気に入っているところではあります。

だから、私も残り少ない人生、

急がないけれども重要なこと

に重点を置いて生きていきたいと思います。

ま、そういうことなので、弟子希望の君たち!(自覚はあると思うので) 私もこうして追い詰めて生きていきますので、中小企業診断士の勉強くらい、毎日スイッチボタンを押し続けられる人間になってくださいませ、まずはそこからや!

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コメント

    • 加藤 正樹
    • 2025年 4月 12日 11:11pm

    貴兄のお怒り、めっちゃ分かる。めっちゃ共感してまう。

    ブログの主旨から外れて恐縮やが、私も似たようなこと 言われるのよ。

    「ギター上手くなりたい」
    「どうすれば弾けるようになりますか?」

    練習せえや。
    そもそもギター持ってないなら、安物でええから、はよギター買えや。

    これ言うと、

    「練習する時間が無い」
    「ギター買うお金が無い」

    んじゃギター弾きたいとか言うなや。

    挙げ句の果てには

    「それだけギター弾けるの、ズルいですよ」

    アホかお前。
    歴だけで言うたら、こっちは40年 弾いてきとるわい。

    貴兄お書きのとおり、みなさん自分には甘いのよねぇ……

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