ジェンダーフリーと会社の在り方について語ります。

知り合いからは「鷲尾さん、あんたみたいな人は『ジェンダーフリー』っていう話題はアブねーよ、だって失言多いじゃん」て言われますが、ほっとけや!

この話題をとりあげるのは前段の話があって。

こないだね、昔なじみの社会保険労務士らと、四日市のワインバーで15年ぶりくらいに飲んでたの、昔こっそり私がやってたラジオがらみの人々。で、アルコールを相当に摂取し、幸せな一夜を過ごしましたとさ、めでたしめでたし・・・では終われないって。

今日はその中の社会保険労務士さんのお話。

社会保険労務士さんだけに、トランスジェンダーとか、社会的に男として求められる偶像とかの話で盛り上がった。女性より男性の方が、かくあるべし(例えば、マッチョな存在として、父親として、稼ぐ性として、とか)という規範に縛られてるよね?とかかなり深い話をした。

で、その人の名は、小岩広宣。その話が盛り上がった途中、おもむろにハンドバックから取り出したのは、これ↓。

多様化する人材と雇用に対応する ジェンダーフリーの労務管理

小岩氏の14冊目の著作。昨年の11月に出版されたそうな。今年入ってから「ブログ書いてないですね!」とかの圧をそこはかとなく感じている私にとっては、渡りに船!でこれはネタができたぞ!とか思ってたところ、小岩氏からもブログ書いてね!という話も出て、これは書くしかないでしょ!と。

ただ、思いのほかボリュームがあって読了したのが昨日!で、さっそくながら久しぶりの書評と思い出話を試みてみようかと。

まずね、小岩氏の飲み席でのこんな発言があった。

「私、こんな格好をしているからよく(思想的に)『革新』でしょ、って言われるんですよ。でも、それって違うんですよね。むしろ、私は『保守』の側面も持っていると思っています。」

この言葉に、なるほどと思った。つまり、ジェンダーフリーという概念を単純に「新しい価値観」として括るのではなく、社会における個々の役割や生き方の自由を考えることこそが、本当の意味でのジェンダーフリーの理解を深めることになるのかもしれない。と同時に「革新」か「保守」か?という思想判断の二分化が、「LGBTQ」か否か、のその二分化の危険性も暗示しているようなそんな気持ちにも陥った。

そんなことを思いつつ、小岩氏の本を読み進めるうちに、制度やルールの話だけでなく、人間が持つアイデンティティの根本について考えさせられることが多かった。

たとえば、職場における性別役割の話。日本ではまだまだ「男だから○○、女だから△△」という暗黙のルールが根強い。だからこそ、この本におけるジェンダーフリーという話題が「どちらの性別なのかを決めることが正しくはない」というにフォーカスしすぎている感じがしたのかな、という気がした。まあそれだけ白か黒かのカテゴライズが浸透しすぎている世の中である証左でもある。そもそも、人間を性別のみの枠組みで考えること自体が問題なのではないか? それが本当に個々の能力や幸福に寄与しているのか? 小岩氏は、労務管理の観点からジェンダーフリーの重要性を説きつつも、「大切なのは多様性そのものを受け入れることではなく、その多様性をどう運用していくかだ」と言う。いやいや、この私。はっきり言って振り返ると前の職場は私は浮いてた、金融機関職員としては●●でしょ、という行動規範に何かしらの違和感を感じてたのもやめてしまってこうした仕事についている遠因かもしれぬ。「行動規範>>>多様性の運用」の職場で私はいつも息苦しい(生き苦しい?)感じを持っていた。

話は横に大幅にそれましたが、この小岩氏の「大切なのは多様性そのものを受け入れることではなく、その多様性をどう運用していくかだ」これがね、すごく腑に落ちた。つまり、ただ「ジェンダーフリーを推進しよう!」という話ではなく、企業や社会がどうそれを取り入れ、実際に活かすか。そこに焦点を当てているのがこの本の面白いところ。もっと言えば、私も「生産性の向上」というのを声高に申し上げる場面は多いが、多様性を理解するのが目的ではなく、多様性をどのようにうまく使いこなし、生産性の向上を達成させるか、社会保険労務士界隈、働き方改革界隈でも話題となるこの日本の根源的な課題にもブッ込む提案だと思う。

もう一つ気になるのは、そもそも個々人が自分自身のアイデンティティを明確に理解していないケースが多いことだ。自分自身のことをぼんやりとしか捉えていないのに、他人をカテゴライズしようとする。この矛盾が、ジェンダーフリーの議論におけるもう一つの違和感だ。

小岩氏の考えを俯瞰するに、結局大事なのは「個人」として相手を知ることなんだと感じた。社会や制度はどうしてもカテゴライズしたがるけど、結局のところ、一人ひとりがどんな考えを持ち、どんな人生を歩んでいるかに目を向けることが、本当の意味での多様性の受容なのではないか。

私の場合、よく社長に説教する場面が多いのだが、その時に「ご自身は何がしたいのですか?」「どうありたいのですか?」ということをとことん聞く。そこがしっかりしないと、部下を含むステークホルダーの理解や共感はありえない、と考えているからだ。

自分は何なのか?学生時代の青年心理学を思い出すテーマではあるが、そこがあいまいでも生きていけるこの平和な日本において、逆に他人はカテゴライズで「●●だ」と決める。この矛盾が生きづらい世の中になってるのでは、と思うとともに、自分自身が何者であるか(=アイデンティティ)、という根源的な問題に個々人が向き合わない限り、ジェンダーフリーの課題は解決できないのではないか、という結論に今至りました。

そんなことを考えつつ、改めて小岩氏の姿を思い出した。見た目はフェミニンでも、話すことはめちゃくちゃロジカル。そして、労務管理のプロとしての鋭い視点。やっぱり、ジェンダーフリーというのは単純な話ではなく、一人ひとりの「生き方」、ご自身に対する「アイデンティティの理解」の問題なのかもしれない。

この本、正直、想像以上に考えさせられた。興味ある人はぜひ読んでみてほしい。

PS
小岩さん、こんな感じでいかがっすか?例の企画やりますよー!

関連記事

  1. 謹賀新年+伊和新聞新春号
  2. 大みそかイブに考えてみます~2022年版
  3. 専門家という病②~良き専門家の見分け方
  4. 覚悟を決める
  5. 素人が助言をすることについて
  6. 新幹線考
  7. 金利の話、実際どうなの?~ツギノジダイ#6の編集後記みたいなもの…
  8. 文芸賞のあとがきみたいなもの_その2

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP