伊和新聞の編集後記的なもの
やっぱり、ブログ更新期間に間が空いてしまう情弱な私でございます。こんなんではだれも読んでもらえない日がきっとくるに決まってます・・・大分読者をなくしてしまったような・・・。
それはこちらの伊和新聞さんもそうで、連載のチャンスをもらったというのに、もっとガシガシ書きまくって己の考えとかを世に示すべき・・・と強く感じている私ですが、なかなかできず意思の弱さをすごく感じるわけです。
さて、今日の本題ですが、これです。
で、文字数稼ぎのために(自分のブログなのでそんなことする必要もないのですが・・・)、この鷹山公の「働き一両」の全文を載せときます。
働き一両
考え五両
知恵借り十両
骨(コツ)知り五十両
ひらめき百両
人知り三百両
歴史に学ぶ五百両
見切り千両
無欲万両
まあ、含蓄のある珠玉の言葉、といった感じですね。結構この鷹山公、個人的には江戸時代という硬直的な時代に生きて、「金」「経済」というものを俯瞰的に見れてた偉人、と思っているのですが、やや「説教臭い」のが玉にキズかなとか思ったり、ケネディ大統領が就任した時に、日本の記者たちが「日本の政治家で誰を尊敬されてますか?」という質問に対して、「上杉鷹山」と答え、そこに居た記者が一人も知らなかったところから日本人が鷹山を認識しだした云々、とかいう例の逸話もなんか、芝居がかっててちょっとなあ・・・とは思います。
そんなことは言うても、九州は高鍋藩(だったと思う)から養子としてきて、古参の重鎮たちからは軽んじられたであろうに、上杉藩の中興の祖として実績を残してきたのはさすがだと思いますし、やっぱりそこには
確固とした「思想」「哲学」
が存在していて、組織のリーダーとして必要なことをしっかりと認識し、ぶれずに断行していく強さが、感じられます。
ええ、私も「小説 上杉鷹山」童門冬二を持ってますよ、上下巻とも。藩祖の上杉景勝に仕えた直江兼続よりは小粒ながら(当たり前ながら、戦国時代と江戸中期では比べるべくもないです・・・)、読み物としても面白いと思います。
では、現代の経営にこの格言をどう生かすか?ということになりますが、新聞記事中に書いた通り「考え五両」ですが、最後の「無欲万両」について、最近思うことを。
無欲を貫くのはちょっと難しいですし、鷹山自身も「(藩のために)金に関する欲」は絶対にあったはずですし、なければ財政再建なぞできない話であります。そこを踏まえたうえで私なりの解釈を申し上げると、経営に対する欲=金儲けする欲は少ないくせに、名声欲、承認欲、物欲、その辺の欲が経営欲に勝っている経営者をよく見かけます。
経営の目的は金儲け
と私は言うてますが、別に名声や、モノを求める心を否定するつもりはありません
が、
名声や、物欲が、それがすべて「売上・利益につながるのか?」ということを常に考えていかねばなりません。そのためには、金儲け以外の「売上利益につながらない」他のことには「無欲」になる必要がある、と思わねばならない、と私は解釈します。曲解かもしれませんが・・・。
ともかく、歴史に学ぶ五百両、ともおっしゃっておられるので、この秋の夜長に歴史人物伝など読んで、学んでみるのも一興でありましょう。
ということで、今回はこの辺で。
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